昨日、以下の記事を拝読しました。
日本人は何でこんなに極端なんだーというのが、正直な感想だったりします。
その理由はですねー。
「自分には価値がある」と思って幸せになれる人は、それで良いではないですかと。
それでしんどい思いをしている人は、逆に「価値がない、だからもっと気楽に伸び伸び生きると幸せになれる、そういう方法もあるよ?」という話ですよねこれは。
「ならばもっと良い書き方があるのでは?
何でお前にそんなん決めつけられなあかんのや」
とか思ってしまいましたよ私は。
いや、私にだけは言われたかないやろ、とは思いますけども。
というわけで、まとめますと。
価値があると思って幸せになれる方はそれで良いし。
それでしんどい人は、逆に価値がないと思って幸せになることを選べば良いし。
そもそも、自分に価値があるとかないとか、どうでも良いと思っている人もいるだろうから、それでも良いし。
いや、自暴自棄で不幸になっているという場合ではないですよ?
例えば、自分に価値があるとかそういうのは興味がない、子供や家族や恋人等と一緒にいる今が幸せだから、それで良いんだーという場合とか。
まぁ、正直な話、今回の話の結論はこれだけなんですけども。
この後の追記で、私の考えをついでに残しておこうと思います。
そもそもの悩みというものは、知識によってある程度のところまでは解消できます。
自分に「価値」があるのかないのか、そもそも「価値」とは何ぞや?!
まずは、そこから話は始まると私は考えます。
そして「価値」と似た単語に「価格」というものがありますよね。
この「価格」というものは、価値を可視化するために「お金を払う場合に付けられた値段」のことであります。
で、私の価格と言えばですね。
何度も何度も面接を繰り返して、やっと漕ぎつけた仕事は多分、大阪府最低賃金ぐらいの時間給を頂ける状態だと思われます。
確認すると「時間額1064円」でした。
ついでに言えば、面接に落ちたことで心が折れると、もちろん「0円」ですね。
というわけで、この金額こそ、私の労働者としての価値を表しています。
最大でも1時間当たり「1064円」程度、そうでなければ「0円」という、それが私の労働者としての価値です。
でも、そんなん、気にしてませんよ私は。
一つ目の理由は「労働者としての私が、私のすべてではない」からです。
というよりもその前に、労働は「生産活動の手段」であり、大事なのは目的である「生産活動そのもの」である、ということを知っているからです。
そして今、これからの世の中は、生産活動が分散化していく傾向であることも、知っています。
それは、時代またはテクノロジーの進歩によって引き起こされてします。
以前はネット通販を例にその話をしていました。
それを裏付けるような東洋経済オンライン様の以下の記事を見かけました(2018年ですので、ちょっと古いですけれども)。
1~50社までの会社でも小売業が非常に多いですね。
今回は、他の例も考えてみました。
スマホ一台あれば、いろんなものが要らないですよね。
というわけで、二つ目の理由は「時代の流れなんだから仕方がない」です。
私が生まれてくるのがもっと早かったならば、真面目に働けば(私ぐらいのしょぼい能力であっても)、正社員になることはできたはずです。
生まれてくる時代がいつなのかは私が選んだわけでもないですし、個人の努力や根性ではどうにもならないことですから。
ここら辺のことを知ると「悪いのは私じゃない、だから悩む必要はない」という気持ちになって、かなり心が軽くなります。
と、ここまで知ったところで、それでもやっぱり悩む、という人はいると思います。
どれだけ楽になっても、仕事自体が辛くて、でも自分または家族の生活がかかっているから辞められない、というような事情があるからして……以下略……。
(故に、冒頭のリンク先の「とにかく仕事を辞めよう」という表現は、そのぐらい強く言わないと辞めないから危険だというお気持ちがあるのでしょうが、それでも少々言い過ぎの印象が私にはあります)
それでも、知らないよりは知った方が軽減されるのではないかと。
ということで、まとめると「知る」ということは、悩みに対してはある程度、万人に効果のある改善策だと、私は考えているわけです。