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今の日本は、相対的に衰退していると言わざるを得ません。
日本が成長していないというわけではありませんが、他国と比較すると、成長の度合いがより少ないからです。
この図はそれらを表している、競争力やGDPの伸び率などのグラフです。
そこで「日本がこうなったのは政治が悪いからだ!」と言う人も、たくさんいます。
中には、それで思考停止にまで陥っている人も見られます。
確かに政治にも至らないところは、数多く含まれていました。
しかし最も大きな原因は、誰のせいでもありません。
それは、我々の持つ国民性が時代の流れに対して、非常に不向きであることからきています。
別の言い方で「日本人の生産活動と価値観は労働に集中しているが、これが時代の流れに反している」とも言えます。
時代の流れに反しているところは「時代が進歩したことで、労働の需要そのものが落ちてきているのに、未だに労働に集中している」というものです。
そして他国では、日本ほど労働には集中しておらず、たとえば他の先進国では投資という生産活動によって、取得できた資産がありました。
それ故に、相対的に日本が貧しくなった、というのが最も大きな原因です。
そこで日本がもう一度、金銭的なものも含めて豊かな国になるためには、この原因を詳しく調べる必要があります。
まずはこの原因を三つに分けてみましょう。
3番の自然災害は1番の地理的な要因に含まれるものですが、主に供給側ではなく需要側の問題となりますので分けることにしました。
供給側と需要側についての話は、後ほどさせて頂きます。
この三つによって、次のようなことが起こります。
1番について、この真逆で絶好調の国がありまして、それがスイスです。
スイスという国は陸続きで海がなく、農業に不向きな山岳地帯が国土の大半を占めています。
またスイス国民は、二か国語あるいは三か国語以上、話すことのできる人がたくさんいます。
それ故に昔から、傭兵などの出稼ぎのために、スイスを出て行く国民がとても多かったのです。
その出て行こうとする国民を引き止めるために、スイス政府は雇用の創出や人材の育成に、非常に力を入れていました。
それらが功を奏して、今の活況に繋がっています。
(他にも理由がありますが、ご興味ある方は説明の記事もどうぞ)
日本ではこのような対策をしなくとも、四方を海に囲まれている上に、国民の使える言語はほぼ日本語だけでしたので、日本から出て行くのは難しいものでした。
その上、昔から勤勉な国民性を持っています。
何もせずとも国民がこぞって働き、働くことに誇りを持ち、ついでに働かないかまたは働けない人をバカにする人までいますから、労働者の供給過剰が他国に比べて起こりやすいと言えます。
さらに言えば、我々日本人は「質素倹約は良いものだ」という価値観も持っていますから、需要の方も他国に比べて少なくなりがちでもあります。
ここからは2番について、我々日本人の価値観の本質とは、江戸時代にあります。
先ほどの質素倹約という価値観も、幕府が奨励していたものですが、それだけではありません。
さらに我々を貧しさに導いている価値観があり、それが「生産活動イコール労働(に限る)」というものです。
この価値観がエスカレートし、お金を稼ぐためにしなければならないのは、生産活動であるのにもかかわらず、いつのまにかその手段である労働が目的になっている、という人もたくさんいます。
そもそも労働とは、生産活動における手段であり、しかもそれは、非常に有効な手段であると言えます。
ただし、手段はどこまでいっても手段であり、目的ではありません。
この「生産活動イコール労働(に限る)」でかつ、労働が目的となってしまった理由が、江戸時代の石高制にあると私は考えています。
なぜならばお米というものは、基本的に労働力でしか増やすことができない上に、武士と農民は常に、それを目の当たりにしているからです。
(ウィキペディア・コモンズ様より以下、画像で引用)
江戸時代の人口の約九割は、武士と農民であり、この九割もの人々が、石高制の影響かにあるわけです。
今の日本人の価値観には、昭和の価値観を引きずっているようなところが多く見られますが、その最も深く本質的な価値観は、江戸時代のものではなかったのかと。
というのも、明治維新以降に新たな価値観に移行した、かと思いきや、敗戦によってお金の価値が下落し、お米の方が貴重なものとなったその時に、強烈なゆり戻しが起こったのではと。
そのように私は考えているのです。
かつての日本、敗戦後から高度成長期を経てバブル崩壊前までは、この価値観のままでも、なんの問題もありませんでした。
なぜならば「日本国内の需要が大きく、労働需要もまた大きかったから」ですが、テクノロジーの進歩によって、そのような時代は既に過ぎ去ってしまいました。
そしてこの日本独自の、石高制のなかった他の先進国では、労働以外の生産の手段である投資が、日本よりも盛んであることは、冒頭でも触れました。
さらに江戸時代の価値観と言えば、もう一つ、裏目に出ているものがあります。
日本を長い間事実上支配していたのは、労働者階級である武士でしたが。
このことは、王侯貴族が実権を握っていた欧州と決定的に異なるところであり、それ故に彼らから生まれた芸術というものが、日本には存在しなかった理由でもあります。
芸術とは、明治維新後に西周によって付けられた訳語であり、それまでの日本では、この芸術という概念そのものがありませんでした。
それ故に、芸術やラグジュアリーのビジネスを非常に苦手としており、現在でも、この部分の国益を取り損なっている状態が続いています。
3番の自然災害が多いことについてですが、ここで生産活動について、もう少しお話しさせてください。
生産活動とは通常、その時のお客さんが望む、お金という対価をもらえるものを生産する、という活動のことを指します。
厳密に言うと、これは「狭義の生産活動」であり、時給自足や家事労働なと、お金に換えることのできない生産活動に対しては「広義の生産活動」とされています。
お金を稼ぐための狭義の生産活動をするためには、方法が二つあります。
1,最初から狭義の生産をする(最も基本的で効果的なのは労働)
2,広義の生産をした後から、評価することで、狭義の生産に換える
2番の場合は、既に生産されて存在していたものに対して評価をするわけですが、これを言い換えますと、需要側、つまりお客さんの立場でその生産物を受け取った時、それがどの程度の価値あるものなのかを判断する、ということです。
この場合の例として、ゴッホの絵画が挙げられます。
ゴッホの絵画は生前に売れたのは一枚だけで、残りは死後に評価が高まり、何億円という破格の値段で取引されるようになりました。
生前の売れなかった時の絵は、広義の生産活動によって、既に存在しているという状態で、その後に評価されて絵が売れたその時に、狭義の生産に換わった、ということになります。
では、生産活動の話はここまでとさせて頂き、本題の自然災害が多いことについて。
(一般財団法人国土技術研究センター様より以下、画像で引用)
日本は災害が多い国ですから、能動的に動く人の方が高く評価される傾向が強く、時にそれが過剰評価にも繋がります。
能動的な人材の過剰評価を一言で言えば「プレイヤー至上主義」と言えます。
そして評価能力の不足とは、受動的な人材の能力、すなわち客側の能力を、過小評価していることから起こっています。
災害時やその直後などで、使えて当たり前のインフラ(特に電気)が使えなくなった時には、人力は貴重なものとなります。
それに加えて、生死を分けるほどの大災害に巻き込まれた時、命を落としにくい人は「何とかして、助かろう!」という強い気持ちを持つ能動的な人であり、その反面「怖い、誰か助けてー!」という受け身の人は、命を落とす可能性がより高くなります。
命を落とす可能性が高くなるのですから、良くないものとされがちになるのは、仕方のないことだと思います。
このように災害の多い国であった日本では、常に能動的な人かつ労働者の評価が、他国に比べて極端に高くなりがちであると言えるでしょう。
しかし現在のように、平時であれば、生活に必要なものは概ね存在する時代になりますと、一から狭義の生産をする必要性は、以前よりも減りつつあります。
その反面、既に存在するものを評価しなおして、新たな狭義の生産活動をすることは、以前よりも必要とされていく傾向にあります。
その一例として、積水ハウス株式会社と外資のマリオット・インターナショナルが手がける「Trip Base 道の駅プロジェクト」が挙げられます。
「Trip Base 道の駅プロジェクト」とは、地域や自治体、パートナー企業とともに、観光を起点に、地域経済の活性化を目指す、地方創生事業です。
これを、先ほどの「既に存在するものを評価しなおして、新たな狭義の生産活動をする」に当てはめますと、まず「既に存在するもの」とは、その地域の「自然と、その自然から生まれた食材や特産品、あるいは歴史、文化など」となります。
それらを評価しなおして、新たな狭義の生産活動である「観光を起点に、地域経済の活性化を目指す、地方創生事業」をおこなう、ということになります。
ここで気付かされるのは「日本が持つ、自然とその自然から生まれた歴史や文化というものは、非常に素晴らしいものである」ということです。
我々日本人は太古の昔から、この豊かな自然と共に歩み、歴史や文化を紡いできましたが、そのことがいつの間にか当たり前のこととなり、素晴らしいものを素晴らしいと感じる心を、失ってしまっていたのではないでしょうか。
現時点で上手くいっている国を調べると、むしろ持っていないものだったからこそ、気付くことができた、ということがわかります。
スイスは農業に不向きな国で、夏の僅かな間にしか農業に従事することができず、それが素因となり現在の活況に繋がっています。
アメリカは歴史が浅い国であるが故に、他国の歴史や文化を評価し、それをお金に換える力に優れています。
そこで逆に考えてみると、日本は他国と比べて自然災害が多いことで、良質の労働者が育まれたのでもあり、大量生産大量消費時代までは、それ故にGDP世界第二位の経済大国になることができた、とも言えます。
今の時代はそれが裏目に出ているわけですけれども、諺で言う「禍福は糾える縄の如し」であり、まずはこのことをきちんと知ることで、ここから巻き返すことができるでしょう。
それでは、まとめに入ります。
冒頭の三つの要因をもう一度表示します。
1,地理的な要因(日本は島国でかつ、言語は日本語のみ)
2,歴史的な要因(江戸時代の武士の価値観の影響が多大)
3,自然災害が多い(受動的な者の能力や、評価が低くなる)
最後にもう一度言いますが、日本の地理も歴史も自然災害もすべて、誰のせいでもありません。
それによって培われた価値観が、今の時代に合わなくなってしまったのも、誰のせいでもありません。
それ故に、日本人にとっては逆風の時代と言えます。
が、ここまでの原因がわかれば、あとはそのことを強く意識し対策を練り、それを実施することで、この状況を打破することができます。
ここまでお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
(動画内で、金融庁様、日本銀行様、IT用語辞典 e-Words様、かわいいフリー素材集 いらすとや様のお世話になっております)