尊厳死について・・・
私が死んだら、病気になったら、動けなくなったら、子供たちにどうしてほしいか?
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私は、夫の母を介護してきました。
嫁として、夫の母の介護は当然と思って疑いませんでした。
当時の私は、世間体や、常識を重んじて、いい嫁を演じていたんです。
今ならわかります。
その陰で、子どもたちがどんなに寂しい思いをしてきたか?
その当時、下の子はまだ、4歳でママが必要な時期でしたし、上の子たちにも、色々不自由をかけてしまいました。
何より、家庭が壊れてまで、親の介護は必要だったのでしょうか・・・・?
私は何故、介護を引き受けてしまったのか・・・
今、娘に子供が出来て、孫たちを見る機会が多くなって気づく事が有ります。
私は、こんな風に、子ども中心の日々を過ごしてきただろうかと!
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自由に自分の思いをぶつけるのが子どもです。
なのに・・・
我が子たちは、手の掛からない、良い子たちでした。
いやいや、違います。私が手をかけてあげなかったのです。
それどころか、子供たちを私の不安を、聞いてくれる存在にしてしまいました。
夫に話しても、解ってくれないから、あろうことか、子どもを愚痴のはけ口にしてしまったのです。
子供たちは、不安定な私を気遣い、私の思い通りの良い子になろうとしました。
子供らしい自分の心に、いつしか蓋をして生きてしまったのです。
当時の私は、子供たちの気持ちに気づきもしませんでした。
子どもには、自分の事を第一に考えてくれる母親が、必要だったはずです。
なのに、私にとって、子供は2番目、3番目、4番目の存在だったのでしょう。
一番は、病気で弱っている、義母だったから!
取り返しのつかないことをしてしまいました。
・・・・
やっと気づきました。
私は同じ過ちを子供にはして欲しくないと思っています。
もし私が病気になったり、介護が必要になっても、
子供の生活を壊したくないのです。
その時は、自分の家族の事を一番に考えて欲しいのです。
親なんて、捨ててもいいんですよ!
捨てられても本望なんです。それこそが私の希望です。
何より、子供には幸せになって欲しいから・・・。
親は、親になった時点で、もうすでに、いっぱいの幸せをもらっているのですから・・・・
子供を育てる事は、最高の喜びです・・・・
あなた達は、私の人生を豊かなものにしてくれたんです。
それだけで充分です。
子供に対する愛は、与えるものです。
決して、見返りを期待するものではないのですよ!
親が子に与え。そして、子が親になって、自分の子に、与えていくものなのです。
今受けている愛を、自分の子に与えればいいのです・・
こうして、受け継がれていくんですよ!
親の愛は「死という終着駅」への片道切符なのだから!・・・ね♡