45歳のサラリーマンです。
これからのハンターとしての日々を記録として更新しようと思います。
北海道生まれで北海道で育ち、大学を卒業してIT企業に就職。そこから、転職もすることなく1つの会社で働いていました。
転機は2019年、東京に出向することになり、今までの仕事と大きく異なる業務をやるようになり、楽しくもあり忙しくもあり、とても充実していました。
ところが、コロナが始まった2020年、仕事中に突然、人の名前が全然出なくなり「疲れているのかな、、、」と思ってから1週間、状況が全く改善せず酷くなっていきました。
「これは何かの脳の病気ではないか?」と妻とも話しをしており、休みの日に病院に行くとCTなどを撮影した後、奥の方の部屋に呼ばれました。
なんとなく「あ~、結構ヤバいんだな」と想像はしていましたが、お医者さんからの第一声が「脳に影があります。脳腫瘍の可能性が高い。脳梗塞の可能もありますが、見た感じは脳腫瘍、この大きさだと結構進んでいる状態です。もう少し検査をして病状を確定させましょう。」でした。。。
なるほど!! ガンの宣告というシチュエーションというのはこういうものか。勉強になるなぁ、と少し自分自身で気持ちを落ち着かせる努力をしていましたが、となりの妻も同じような作業(突然の状況を落ち着いて処理する努力)をやっているようでした。
そんなこんなで、まずは各種パスワードや自分だけが知っている情報の棚卸用にノートを買ってきてもらいました。買って貰ったノートにパスワード類を書こうと思ったのですが、そもそも、脳の異常で病院に来ているので「思い出せない」、、、結果、遺書のようなものを書き始めていました。
ところがそこから1週間の入院期間が過ぎ、先生から「これは脳腫瘍ではなく脳梗塞ですね」という判定が下りました。そして「よかったですね~」とも。「良かったのか?」と思いながら、なんでも相対評価すれば「良かった」になるな、という新たな事実も理解できました。
結局、脳梗塞で死んだ部分は言語野という部分で、その後の2か月は言語のリハビリを実施し、退院することができました。
ただ、45歳で脳梗塞というのはやはり若いため、原因について血液検査などを継続した結果、「原発性抗リン脂質抗体症候群」という難病番号48番に指定されている病気であることがわかりました。
この病気は免疫系のもので、要するに「人よりも血栓ができやすく脳梗塞や心筋梗塞になりやすい」というものです。つまり「人よりも少し死にやすい」ということですね。
ここまできて、ようやく新たな人生の転機が見えてきました
「自分も死ぬんだ」という当たり前の話しを認識できた。 「人よりも死にやすい」ことも認識できた。
これは、自分にとってとても大きかったです。以前、読んだなにかの本(自己啓発系)に
「自分の人生設計を考える場合は、まず自分の葬式を考えろ、自分の葬式でどんな人に来てもらいたいと思うか、どんな人だったねと言われたいか? この2つが人生の目的だ。会社の人が来て、とても仕事ができる人だったね~と言われたいと思う人は少なく、ほとんどは家族や友人に集まってもらいたいはずだ」と。
う~~ん。ナイス。
考え方のロジックも分かりやすいし、何より、腹落ちする。。。
ということで、そこから少し考えを進め(この流れは割愛)、
「結局、やりたいことをやって死のう。あと、なんか良いことをやろう」という小学生低学年の文集のような結論に帰着しました。
で、ここからも結構小学生が続きますが、
やりたいこと == 銃を撃ってみたい
良いこと == 親のいない子を救ってあげたい
の2つに決定しました!!
2つの目標に向かって、行動を開始しました。
今までは本当に何もやらない、何にもチャレンジしない自分でしたが、「いつ死ぬかわからない」ということが、言葉ではなく本当に目の前に見えてしまったので、やるしかない感じです。
で、
狩猟免許取りました。銃買いました。鹿を撃ちに行っています。 里子ちゃん(3歳)をお家に迎えました(里親になりました)。
と順調に人生計画(第2部)が進んでいます。
この狩猟と里子ちゃん(とてもかわいい)の成長を軸に記録を残していきたいと思います。