2歳の時。
俺は、西川口と言う所に住んでいた。
この時住んでいた場所は、駅から凄く近い場所。
しかも、電車が走っている線路の真横のアパート。
こんな場所に住んでいたから、深夜まで騒音が激しかった。
でも12畳の1Kで風呂トイレ無し、家賃1万5千円と格安だった。
トイレは共同トイレを使って、お風呂は銭湯通いしていた。
この頃の銭湯は、どこも銭湯の定番の絵の富士山が描かれていた。
銭湯に富士山のペンキ絵を描ける人は、もう日本に3人しかいないらしい。
84歳になる「丸山清人さん」
兄弟弟子の「中島盛夫さん」
女性で、最年少の「田中みずきさん」
この3人だけになってしまったらしい。
銭湯自体も当時と比べて、3/4まで店舗が減ってしまったから仕方ない。
俺の2歳の頃は、コンビニみたいに結構たくさん銭湯があった。
この西川口に引っ越してきてきた初日の事。
我々家族は、駅前のイトーヨーカドーに照明を買いに行った。
店の中の照明器具売り場に行ったら、凄くきらびやかな照明が並んでいる。
俺は、この物凄く明るくてピカピカしているフロアーに感動した。
もう、この空間が遊園地みたいな夢の国の気がしてはしゃいでしまった。
俺は父親に抱っこされ、このフロアーを1周して楽しんだ。
その後も母親が買い物をしている間、父親とはしゃぎまくって遊んでいた。
そして、母親の買い物をし終わり家に帰る時、手に何も持っていない。
俺は思わず、電気は?と、母親に聞いてしまった。
そうしたら母親は、きちんと買ったという。
俺はその言葉を聞いて安心した。
とうとう俺の家にも、あの眩しい夢の国の明かりが来ると喜んでいた。
そして家に戻り、母親が買ってきた照明を取り付けた。
母親が買ってきた電球は、40wの電球1個。
俺は一瞬あれ?と感じたが、本当にこれ1個しか買ってきていないらしい。
こんなんで、あの眩しいフロアーみたいになるのかと不安だった。
そして電球を取り付けたが、案の定全然眩しくない。
しかも、部屋の真ん中に付けずに、台所に付けやがった。
なぜ、たった1個しかない電球を台所に付けるか。
俺はこの時、世界の全てが間違っている事を悟った。
そして、暗い夜に台所だけ明るい生活が始まった。
食事をする時、テーブルを台所に出来るだけ寄せて、食事をする。
俺は食事の時、毎日父親の膝の上で食事をしていた。
暗くて食事のメニューが良く見えない。
でも、大した物は用意されていなかった。
確か、米と、みそ汁と、漬物。
この3品以外見た事がない。
そう俺が2歳の頃の生活は、ひどく貧乏生活だった。
俺はこの頃、父親が自転車で駅まで行く時、毎日見送りをしていた。
父親が外に出る時、母親に抱かれて一緒に外に出る。
そして父親が駅に向かう時「行ってらっしゃーい!」と叫んでいた。
俺が叫ぶと父親は、必ず自転車に乗りなが振り返って手を振ってくれた。
俺は、それが嬉しくて毎日3回位「行ってらっしゃーい!」と叫んだ。
その度に必ず、後ろを振り返り手を振る。
今となれば、その気持ちが解る。
ある時、仕事帰りに父親が白黒テレビを拾ってきた。
俺はこの時、母親がどこから持ってきたのかと尋ねている会話を聞いた。
どうやらヨーカドーの粗大ごみ置き場に忍び込んで取ってきたみたいだ。
俺は、そんな事を何も気にせず、テレビが来た事に喜んでいた。
我々の貧乏生活が、1ランクアップした瞬間だった。
早速テレビをつけて番組を見てみたら、やっぱ白黒テレビは見にくい。
でも、このテレビのおかげで、俺はたくさんのアニメを見る事が出来た。
そしてこのアニメの主題歌を母親に覚えさせて、よく歌ってもらった。
おんぶしてもらっている時は、必ず歌ってもらっていた。