7歳の時。
ガンプラブームが来て、俺もその時代の波にのまれていった。
学校では、みんなガンプラを持って来て遊んでいた。
俺も、自分で作ったガンプラを持って行ってみんなと遊んでいた。
遊ぶといっても、作り方の技術の良さを競い合っていた気がする。
ビームサーベルを持たせて切りつけたりは、しなかった。
当時の俺は、プラモデルの作りが全然へなちょこだった。
特に、プラモの繋ぎ目からいつも接着剤がはみ出ていた。
当時のプラモデルは、接着剤も一緒に入っていてそれを使った。
接着剤は、液体で今でいうコンビニの醤油みたいな袋に入っていた。
その袋から接着剤を、ちょびちょび出して使うのは非常に難しい。
みんなは、なぜか接着剤をはみ出さず綺麗に組み立てている。
俺は、接着剤をはみ出さずに組み立てる方法をみんなに聞いてみた。
みんなプラモデルを作る時、付属の接着剤は使わないという。
みんなが使っているのは、ビンに入った接着剤だった。
そのビンのふたには、筆が付いていて、それで付けるらしい。
俺は、その朗報を聞き早速その接着剤を買って使ってみた。
そうしたら、物凄く塗りやすい。
醤油袋の様にブシャ!と、飛び出たりもしない。
この革新的なテクノロジーに、俺はびっくりした。
当時この接着剤は、凄くにおいがきつかった。
それは、ブタンと言うプラスチックを溶かす劇薬が元になっているからだ。
昔は、そんなものに制約はなく普通に使われていた。
プラモデルの塗料も、平気でシンナーたっぷりな物が使われていた。
塗料を洗う物も、薄め液というシンナーの原液だった。
でも、子供ながらに慣れれば平気になった。
特に体には異常はなく、逆に調子良くなった気がする。
親は逆に、このシンナーの匂い対し、相当危機感を抱いていた。
この当時の情報源は、学校で聞く皆からの情報だった。
でも、みんなは、新しい情報をどこからともなく入手して来る。
そこで、どこで調べているのか聞いてみた。
そうしたら「プラモ狂史郎」というマンガからだという。
それは、どうやらコロコロコミックと言う雑誌の漫画らしい。
俺は、早速学校帰りに本屋で立ち読みをしてみた。
そうしたら、凄く面白い雑誌で2時間くらい平気で読んでいた。
中でも「超人キンタマン」というマンガが面白い。
俺は、笑いが我慢できずに本屋で永遠爆笑していた。
しかも、何度読み直しても面白くて本屋で爆笑していた。
ある日、母親と本屋が世間話をしていた時にこの俺の話題が出てしまった。
そうしたら、母親は顔を真っ赤にして大恥をかいた表情をしていた。
俺は、本屋で爆笑するのがなぜ恥ずかしいのか理解できなかった。
この話が出た後、母親は毎月コロコロコミックを買って来てくれた。
事情は解らないが、俺としては嬉しい事だった。
当時のガンプラの「144/1」は、300円で売られていた。
安い値段で子供のお小遣いで買える。
その中でも、ガンキャノンが曲者だった。
組み立てても関節が硬くて動かない。
今は、可動部分にゴムの輪をはめ込んで関節の動きが良い。
当時は、そんな物はなく、プラの棒を穴に差し込むだけだった。
その棒と穴のサイズがタイト過ぎて動かなかったのだ。
そこで俺は、可動部の棒を切り取ってサイズが小さい棒を穴に差し込んだ。
それだけでは、パーツが付かない。
そこで胴体にゴムを付けて、それを手足の先まで伸ばして固定した。
そうする事により、ゴムの力で可動部分が動きポーズを作れる様になった。
当時この方法を使っていたのは、俺だけだった。
そしてガンキャノンを学校に持って行き、動きの良さを自慢していた。
そうしたら、本気で凄いと感心された。
この時、本気で凄いと感心すると人は言葉を失う事が解った。
でも、作り方は誰にも教えてあげなかった。
これは、唯一俺だけが出来る神業だった。