私の小説「蝶を放つ」から、ピックアップした場面をお届けします。
全文購読については以下からお願いいたします。
学生の頃、インドを一人で貧乏旅行していたときのことだ。僕はベナレスに滞在していた。ガンジス河のほとりには、いくつもの火葬場があって、毎日のように死体が焼かれていた。
ひりつくような陽射しの中、その様子を見学しに行った。現地のインド人がやってきて、「見学料を払え」とインド訛りの英語で話し掛けてきた。関係者ではなさそうなので、無視していると「キルユー、キルユー」と喚き始めた。どうやら殺すぞと言っているらしかった。そのうち、ほかにも白人の見学者などが集まってきて、こっちの人数が多くなると、インド人は諦めて、どこかへ行ってしまった。
単純な木組に燃えやすい木っ端が振りかけられる。そこに布でくるまれた死体が運び込まれ、安置された。その上にさらに木っ端がふりかけられ、木枠が組み立てられる。何層もの木っ端と木が、万便なく死体を燃やすよう工夫されているようだった。
火を放たれると、乾燥した木っ端はめらめらと燃え、瞬く間に木の枠組にも燃え移った。木はぱちぱちと音をたててよく燃えた。燃え尽きた木がぐらっと揺れると、死体もぐらっぐらっと揺れた。近くで見ていると炎が頬に火照って、とても熱かった。
ある瞬間になると、死体の脚が急にぐわっと持ち上がった。炎で脂が焼け、筋肉が縮んだために起こる現象らしかった。
炎に舐められて、焼け縮れていく死体を見ていると、死んでいくというのは、こうやって世界に溶けていくことなのだなと思えた。映画のフィルムが燃えるように、ひとりの人物の人生の記憶そのものが、めらめら燃えて溶けて消えていくのだなと感じられた。そのことは少し淋しいことのようにも思えた。が、一方、この上ない解放感を伴う悦楽のようにも感じられた。
今、父の遺体もあのようにして燃えているのだろうか。頬を炎が舐め、じりじりと肉が溶け、骨が現れ、黒焦げになった肉ががさりと落ち……。目を閉じるとその光景が見えるようだった。
僕の頭蓋の暗闇の中で、父の体はめらめらと燃えている。細胞のひとつひとつがふつふつと泡立ち、気化しては空気中に舞い上がる。その陽炎の中に無数の透明な蝶の姿が見えた。蝶たちは淡い虹色に耀きながら、次々と揺らめき舞い上がる。そして乱舞しながら、空に吸い込まれていく。
やがてその空から、蝶の鱗粉がさらさらと降ってきた。無数の細かな粉が鋭い光を放ちながら風に舞い、地上に降りそそぐ。