2月24日に始まったロシアとウクライナとの戦争も佳境に入ってきた感じがあります。戦争開始直後はウクライナが圧倒されており、数々の損害を出したことが報道されてきました。しかし、その状況はこの夏に一変します。今では、ロシアに押されていたはずのウクライナが押し返しているというのです。ロシア軍は、多大なる損害を出しつつ、作戦の要所となるいくつかの地理的ポイントを失い続けました。
最終的には、ウクライナはロシアに対していろいろな側面において上手になっているといえます。ロシアはついに100万人規模の動員令を出すまでになり、その規模はさらに多くなるとも予測されています。
ロシア軍の統率は完全に乱れており、先陣を切って破壊した残骸を後からきたロシア兵が利用して金を稼ぐということも行われており、単なる盗賊となりつつある一面も垣間見えます。
さらに、多くのロシア陣営の態度としては非常にうつろなところがあり、これからどのように戦況が変わっていくのかは全く想像できなくなってきました。こういう不安定かつ先がどんどん見えなくなってきている情勢では、ロシアとウクライナの間で交渉をすることがさらに困難になるほど話が二極化していきます。
第二次世界大戦が発生してからおよそ100年もたっていないにもかかわらず、もしかしたら第三次世界大戦に突入してしまうかもしれません。その可能性は十分にあり得ます。
もしもそのようなことになれば、ここまで築かれてきた国際社会のシステムを一変させなければならなくなるでしょう。戦後レジームどころか、世界全体のルールが若干変わるかもしれません。そして、このようなタイミングだからこそ言いたいこともあります。
それは第二次世界大戦のようなことが仮に起こったとしても、それは第二次世界大戦のように特別視されるべきではないということです。最近いろいろな歴史について調べていますが、こと日本においては特に第二次世界大戦や明治維新といったイベントをやたらと取り上げ続ける傾向があります。しかし、歴史の流れで発生したイベントがそれらなだけであり、1860年から1945年の間には多くのドラマが発生していました。
その間の年代で起きたことがかすんでしまうほどにインパクトが大きかったのは確かですが、第二次世界大戦のようなイベントを軸に語られるようなことがこれから起きてしまう可能性をある程度危惧しています。
では、仮に第三次世界大戦になれば世界はどのように変化していくのでしょうか。個人的な考えでは、思いっきり「少し新しいテクノロジーと大きな思想の変化」が訪れると考えています。確かに、メタバースや暗号資産、IOTや量子コンピュータなど環境テクノロジーと表現すべき様な人工物の興隆はこれからも続いていくことが予測されます。
その一方で、それらが形になっていく、そして人々がリテラシーをつけて利用していくとなる未来がどのくらい先になるのかはわかりません。少なくとも、100年以上はかかるのではないかと考えています。
そんな未来のことを考えて生きることに何の意味があるのか、たまに疑問に思ったりしますが、着実にそれに近づいているので死んだ後に何が残せるのかを1万年、いや10万年単位で見たりしています。