今回は、結構難しいようで簡単なことについて解説していきます。それは、暗号資産界隈、ないしはNFT界隈がこれからどのように普及していくのかという炉辺談話的なものです。
数年前に比べて暗号資産を触る人は数段増えましたが、現状それらはサービス提供者のほとんどが、クリプトに詳しい人たち、いわゆるテックがちがちな人が考えたトリッキーで難解なものばかりです。
たとえば、「ワンピース」や「ドラゴンボール」、「コカ・コーラ」、「ナイキ」など、今ではそういった誰でも知っていて楽しめるものも入ってきていますが、難解ではないサービスで人気があり、シンプルなものはあまりない印象です。
最も、クリプト界にはまだアップルのような存在がないともいえます。スマートフォン、タブレットといえばアップル製品ですが、暗号資産界でいうところのThe NFTはBAYCなのか、それともクリプトパンクスなのか、いやどちらも違うという人が多いでしょう。なぜならそれはどちらかといえば「どうなるんだろうな」といった実験的志向も入っており、本当にこれが人類にフィットするプロダクトになるというものではないからです。
資本市場が背景にある以上、クリプトもそこに飲まれればThe クリプト的存在が出てくることはあるかもしれませんが、これまで好調だった米国市場に陰りが出てきたことで、クリプト×資本主義的なもの、いわゆるアップル的存在が出てきていない状況にあります。
それを最も感じるのはゲーム界隈です。なぜなら、暗号資産にとってゲームというのは、本当に相性がいいもので、構成可能性や相互運用性、保有することで特別な感情を得られる経験、そしてメタバースなどすべてにおいてシステマチックでクリプトテイストな雰囲気があり、何も相反する物質はないように思えるからです。
しかし、ひとつだけ相反するものがあるとしたら、クリプトが価値保有、価値尺度などを持つお金として考えられてしまうことによる、既存のゲームとのイメージの乖離への懸念でしょう。また、ゲームを遊んでいた人たちは、ゲーム(デジタルデバイス上に展開されているシステム)がどういったものかというイメージをクリプトを排除した状態で考えてしまうため、それが何かの交換価値を持っているものがたくさんあるものだ、という思考になっている人は少ないのではないでしょうか。
というのも、例えば、ポケモンを遊んでいて大事にするのはポケモン、ゲーム内マネー、バッジくらいですが、GameFi化したポケモンならばそれ以上に大事にすべきものは挙げられそうな感じはします。マインクラフトでも、大事にすべきもの、交換できそうなものはありますが、これの重要性はますます高まり、いろいろな交換物が浮かんできそうにも思えます。
取引できるものが多いことが良いことかどうかはわかりませんが、既存のPCやスマホゲームをブロックチェーン実装して、それらをGameFiとして認識している今の状態だと、そのGameFiとやらが既存ゲーマーたちにどうみられているのかは、良いとは言えない、ということになります。
はっきり言って、ここにある謎の違和感の正体は
一般人かプロゲーマーか
ということになります。どういうことかといえば、GameFiのゲームは一種のDAOであると考えてしまうということです。DAOは今多くの著名人が構築方法に悩んでいるといわれていますが、そこでネックになってくるのが人員です。DAOを構成するのは人であり、その人間のクオリティが低ければ自然にクオリティの低いDAOができることになります。
GameFiはDAOの一種であり、そこにフィットできるのはゲームに慣れ親しんだプロゲーマーが最も近く、彼らなら、VALORANTの報酬が突然一部暗号資産になっても、それをうまく利用できる道筋があれば納得するかもしれません。
GameFiがなぜ人気っぽく見えるのか。それは稼げそうだからですが、遊んで稼げる、Play to Earnという言葉があるからです。ゲームはこれまで、誰でも簡単に遊べるという認識がありましたが、GameFiとなると話は別になります。それはDAOでもあり、上手くコインの価値が保っていくという話があるとするならば、そこにはし烈な競争が生まれます。
これはすでにVALORANTのようなPCゲームでも起こっており、まさにVALORANTはゲームの大会出場条件を、ゲーム内のランク戦で成績が上位だった人としました。これはかなり衝撃的なことで、ゲームというプラットフォームに大会参加者の選定を依存させているということになります。
このような人選システムはGameFiとかいうWeb3でも起こりえるでしょうし、そうではないPCゲームにおいてもこのスタイルが最も主流になっていくのではないかと考えられます。
PCゲームは一種、上手さや強さを競い合う一面もありますから、それがそのままDAOの参加試験にもつながっていくというわけです。
さて、ここへきて本題に戻ります。クリプト、という言葉を多用した知識にはたけているけど価値の提供がうまくいかない人と、そうではない人がいるとしたら、これまでは「そうではない人が見えなかった時代」といってもいいでしょう。しかし、これからはその立場が逆転します。
つまりこれからは、クリプトの知識があったり、使い方がうまい、クリプトはまだこういった可能性があるといってふるまう人よりも、最もクリプトのアルゴリズムに順応した人が強くなる時代が来ると考えています。
どういうことかといえば、クリプトの可能性を探る時期はそろそろ終わり、いまはクリプトのあぶりだされた姿をいかに踏襲できるかの時期に入っているのではないかということです。これは、別段クリプトに詳しくない人でも、詳しい人関係なくクリプトというものを使分ければなりませんし、普及するきっかけにもなります。
というか、一番最初のDAOといっても過言ではないイーサリアムは「イーサリアムに興味がある人のDAO」だったり、「クリプトのDAO」、「Web3のDAO」だったり言い換えられるかもしれません。
クリプト界隈にあるDAOにはそれぞれ明確に目的があり、それは少なくとも自分の自由意志とは完全に相反するものかも知れません。しかし、自由意志は時としてDAOの目的と完全に一致することもあるわがままなものであり、DAOはDAOとしてその意義を変えられないわがままなものでもあります。
誰か好きなアイドルがいたとしても、それは気分次第で時が経過するにつれ変わります。しかし、アイドルは変わることはありません。
もともとアイドルを推す側の人間は勝手にアイドルを好きになって勝手に推しています。しかし、そのアイドルは一種のDAOでもあり、参加する=推す自由も参加しない=推さない自由もあります。
DAOに対して何を期待するのか、ということは結構ありますが、そもそも暗号資産、Web3、NFT、DAOに対して期待することはないと言ったら語弊がありますが、多くはないでしょう。
お金を稼ぎたいからDAOに入るといっても、MEMEコインが絡んでいるものもDAOですし、簡単にトークンが稼げるのもDAOです。一体全体何がしたいのか、何を目的とするのかによって個人個人でDAOは異なってきます。しかし、最終的に求めているのは、自由ということになるのです。
現在ではほかにもAIの台頭やゲノムサイエンス、拡張現実の発達もあり、今後これらのテックがどう相互作用していくのかに注目が集まるばかりです。
現在ではDAOの存続手法としてはエリート人間がなんとか回しているという印象ですが、それらをAIによって目的固定させることができたら、非常に画期的ですし、AIやテクノロジーという主柱の間を人間が行き来する時代になるかもしれません。