ジャライ族は文字を持っていません。
近年までは昔話という形で口承だけで、生活に必要な知恵や習慣を次の世代へと伝えてきました。
書き残して記録するよりも、口承の方がリアリティをもって伝えられていたのだと思います。
ある時ひとりの長老が忘れかけた記憶を振り絞って、昔から伝わる民話を話してくれました。
それは、何故ジャライが文字を持たないかの起源です。
”大昔、ジャライ族は文字を持っていました。
当時は、クリー(絶滅してしまった神話上の生き物)と呼ばれる動物の皮をはいで紙代わりに使って文字を書いていました。
ある日、村の儀式があり、村人はみな一日中お酒を飲んで酔っ払い、踊り明かしました。
その間に、一匹の犬がやってきて、文字の書かれたクリーの皮をすべて食べてしまったそうです。それ以来、ジャライには文字がなくなりました”
なんだか不思議な民話ですが、ジャライ族はこのように自分たちの色々な状況を民話として口承してきました。
また別の機会には村の女性(トップの写真の女性)が、ジャライ族の起源に関する昔話を教えてくれました。
カンボジアにはベトナムから移住してきたチャム族と呼ばれる民族が住んでいます。
チャム族とジャライ族はものすごく近い民族で共通の起源を持っていて、双子の姉妹のような関係なのだそうです。
”昔々、ある大家族が森の中で生活していました。その家族には、美しい双子の姉妹がいました。
双子の姉の名前はジャライといいました。
あるとき、ジャライはニット(織物)の布を洗濯してそれを干してから、農場に出かけていきました。
家に帰ってみると、布はなくなっていました。
実はジャライが外出しているときに飼っている牛が布を食べてしまったのです。
そのことを知らないジャライは妹のチャムにその布がどうなったか知らないかどうか尋ねました。
妹のチャムは、「ずっと昼寝をしていたのでわからない。」と答えました。
そこでジャライは、飼っている九官鳥にもたずねてみました。
九官鳥は、牛(ジャライ語でモー)が布を食べてしまったのを見ていました。
そこで九官鳥は、「モー」と答えました。
ジャライ語ではモーという言葉は、"牛”だけではなく”妹”という意味もあるそうです。
なので、九官鳥の答えを聞いたジャライは妹が布を盗んだのではないかと疑いました。
姉妹は喧嘩をして、姉のジャライは家を出て行きました。
その後ジャライが再び家に戻ることはなく、ジャライとチャムは疎遠になりました”
これが、チャム族とジャライ族が分かれた起源の昔話の概要です。
ジャライ族のは母系社会なので、民話の主人公も女性が多く登場します。
双子が分かれて、一方のチャム族はイスラム教、もう一方のジャライ族は精霊信仰。
一神教とアニミズムの両極端に分かれていったのも興味深いです。
ですが近年になりこの口承で文化を継承していくという状況が次第に変わりつつあります。
一般のカンボジア式の生活がジャライ族の中に徐々に浸透してくる中で、ジャライの文化、特に口承で伝わる伝統の重要性が薄まってきました。
実際に村の長老クラスの人でもそういった神話、昔話なんかはほとんど忘れてしまったようでした。
文明生活が浸透する中で、”役に立つか立たないか”だけが重要な基準にとなってきました。
そうなると、多くのジャライ独特の伝統は不合理ということで役に立たないとみなされてしまいます。
書き言葉がないために、一度口承が途切れれば、永遠にジャライ族の文化が失われてしまい、一般のカンボジア社会に同化してしまうでしょう。
おそらく歴史の中で多くの文化がこのような形で失われてきたのだと思います。
とても純朴なジャライ族の人々はいつも笑顔にあふれています。
一部のジャライ族の中ではでベトナムの文字を使ってジャライ語を表記する試みが始まっているそうです。
なんとかジャライの文化は廃れずに残っていってほしいものです。。
これまでジャライ族について紹介した記事です🐱