書名 おいしいごはんが食べられますように
著者 高瀬隼子
発行 講談社
ページ数 152
ジャンル 企業小説・恋愛小説
下記三人は、デザイン会社の埼玉支店の営業担当。
二谷 転勤してきた中堅男性社員。仕事にはまじめに取り組みますが性格が悪く女性関係にだらしないです。かなりの偏食。芦川と恋人関係。
押尾 埼玉支店に新卒の頃からいる女性社員。営業員の中では若い方。芦川の後輩。仕事にはまじめに取り組みますが内心を隠し切れず、常に悪意を発露させてしまう悪いくせがあります。正直な性格とも言えます。
芦川 埼玉支店に長くいる女性社員。容姿・性格ともに良いですが、華奢で肉体的にも精神的にも弱く残業はこなせません。押尾が配属されたとき、育成担当となりました。料理・スイーツを作るのが趣味。二谷よりも少し年上。
埼玉に支店のあるデザイン会社。職場の雰囲気はあまり良いとはいえず、ストレスをためた社員がそれでもがんばっています。二谷は転勤先のその埼玉支店で、仕事はあまりできないけれどもかわいいタイプの芦川と恋仲となることに成功します。二谷はたいして好きではない女性と付き合うことがこれまでもありました。今回も同様です。
押尾は、直属の先輩でもある芦川が嫌いになってきています。皆が忙しいときでも、体調を理由に残業ができないからです。押尾自身も偏頭痛持ちで常に体調が良いわけではありません。そのため、なおさら芦川に対する不満がつのっています。そこで押尾は、酒の勢いを借り、二谷と芦川が付き合っていると知りつつも二谷に芦川いじめ同盟を結成しないかと呼びかけます。二谷は芦川と既に体の関係になっていましたが、芦川のうっとうしい点も見えてきており、押尾への好奇心もあってそれに応じてしまいます。
二谷は、芦川が作った料理で満足せず、寝る前にカップラーメンを食べるような人間です。二谷は芦川を積極的にいじめることはしませんでしたが、芦川が残業用に作ったお菓子を食べずに棄てるようになります。押尾はゴミ箱の中の棄てられたお菓子を見つけ、芦川の机に置くことで精神的なダメージを与えます。しかし、しばらく後にその行為は露見し、押尾は皆の前で上長に厳しく叱責されます。押尾は吐き気を催し、さらにその場を騒然とさせてしまいます。
その事件後、押尾は退職を選びます。二谷も別の支店へ飛ばされます。弱い者が勝ち、強い者が負ける。企業内の当然の力学です。二谷の送別会で、二谷が芦川を見ると、やけにかわいく感じます。転勤後も俺達は付き合い続けるのだろうと二谷は思います。
本作の大部分は二谷や押尾の何気ない日常を描いています。お菓子廃棄事件は本作の最後の方です。その何気ない日常も、不穏さに満ちています。本書の特徴はこの不穏さにあります。
心のざわつきが止まらない。最高に不穏な傑作職場小説!
これが帯に書いてある紹介文ですが、これが本作の特徴をよく表しています。本作の登場人物は、誰もがどこにでもいそうでいて、実際はいないと思います。二谷と押尾は、異性と付き合おうと思えばすぐ付き合えるという認識を持っています。好きだから付き合うのではなく、付き合えるから付き合うという感覚です。二谷と芦川はつきあっているのに、二谷と押尾が一緒にいるシーンが多いのです。こんな人はまずいません。二谷はまともな料理や体にいいものは食べたくなく、腹を手っ取り早く満たすカップラーメンが最高と思っています。こんな人もいません。二人の上司は、芦川の机の上にある飲み物を勝手に飲むような人です。こんな人もいません。埼玉や千葉という具体的な地名が出てきますが、読者はまるで異世界のことを読んでいるような居心地の悪さ・悪意を感じます。
私の感覚ですが、本作は男性小説を否定しているように思われます。男性はこういったものを好みます。
起承転結
魅力的な登場人物
メッセージ性
小説世界の説明があり、何かのきっかけがあって、事件が起こり、解決に向かう。こういった起承転結を男性は好みますが、本作にはそんなものはありません。押尾と二谷は仕事ができること以外はだめな点ばかりで、魅力的ではありません。「悪意を表に出すと当然報いがあるよ」というメッセージがあるといえばあるのかもしれませんが、著者はそのようなことが言いたかったわけではないでしょう。ことごとく男性性を否定した小説となっています。
メタな構造があるように感じるのは気のせいでしょうか。登場人物達は、本作内で描かれている以外の時間も生活しています。序盤では、二谷は押尾といい雰囲気になりますが最後の一線は越えませんでした。しかし、お菓子廃棄事件のとき、押尾は吐き気を催します。これがなぜ起こったのか本作内で明らかにされませんでしたが、これは押尾が二谷の子を身ごもったことを暗示しているのではないでしょうか。押尾は別に退職を選ばなくても、転勤を望むこともできました。退職したのは、妊娠を知られたくなかったからとも読めます。書かれていないときも、登場人物は読者に隠れて生活している。二股をかけている。こんな小説はこれまでありませんでした。
ままならない人間関係を、食べものを通して描く傑作。
これも帯に書いてある紹介文の一つです。押尾が芦川を嫌いなのは、仕事のできなさと、それがゆえに芦川が職場におもねる態度を取るためです。お菓子はおもねりの象徴です。芦川は恋人の二谷に、体にいいおいしいものを食べさせたい。それを打ち消すために、わざと二谷は体に悪いカップラーメンを食べます。カップラーメンは反逆の象徴です。押尾はなぜ捨ててあったお菓子を、わざわざ誰かにみつかる危険をおかして芦川の机の上に置いたのか。あなたのやっているおもねりは、見るに堪えませんと言いたかったのだと思います。
カップラーメンが反逆の象徴だとすれば、本書の題名である「おいしいごはんが食べられますように」は、反逆心など持たず、従順にしていれば職場ではそこそこうまくいくという諦めの推奨でしょうか。なんとも皮肉で不穏な題名です。
間違いなく、芥川賞受賞もうなずける傑作です。女性小説の頂点を極めた作品と言えます。
以上