

こんにちは。大街(yaco)さんの企画「ALIS夏の読書感想文」に応募します!
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ニーチェの「ツァラトゥストラ(黄金の星)はこう語った」を読んだ。訳者は小山修一氏で、この訳は数ある訳のうち最新である。
・ツァラトゥストラ ... 有名な賢者。蜂蜜が好き。たまに空を飛ぶ。
・弟子達 ... ツァラトゥストラの弟子。師匠を崇拝する。
・動物達 ... 弟子達と別れ、独りになったツァラトゥストラの世話をする。特に鷲と蛇が代表格。
・最高をめざす人間達 ... ツァラトゥストラに会うために、助けを求める声をあげた。
この物語は、賢者ツァラトゥストラの成長を描いている。
長年独りで修行し、そろそろ教えを広めようとしたツァラトゥストラは、人間のいる里に降りる。そこで【超人】について語るが、人々の興味を得ることに失敗する。時代は既に賎民の時代となっていたのだ。そこで彼は山に戻り、弟子達に小言を言ったりして過ごす。語り合ううちに、ツァラトゥストラは弟子達と別れ、独りとなる時が今だと知る。彼は泣き、弟子達に別れを告げる。
もといた洞窟に戻ったツァラトゥストラはあきらめきれず、思想を練りながら捲土重来をうかがう。すなわち、再び人々に教えを説くためである。【超人】と【永遠回帰】を気にかけながら---。そうするうち、彼は彼に助けを求める声を聴く。声をたよりに探しに行くと、彼は最高をめざす人間達に出会う。彼らはそれぞれ有能でクセのある人間だが、賎民とのつきあいを嫌ってツァラトゥストラを探す旅に出ていたのだ。ツァラトゥストラは彼らを自らの洞窟に招待し、ワインを飲んで歓談する。最高をめざす人間達は【永遠回帰】を理解したため、ツァラトゥストラは嬉しくなる。
宴会の翌日、ツァラトゥストラは突然、自分が再び人間界に降りる時が来たと知る。【永遠回帰】の輪に囚われている最高をめざす人間達への同情が残っていたが、それも振り払い、彼は降りていくのだった。その姿は、まるで正午の太陽がこれから下降せんとするかのようだった。
ドイツ語でUntergangは「没落」の意味なんだそうだが、「このようにして、ツァラトゥストラの没落は始まった。」だと「やっぱりニーチェって狂ってるよね」と思われるだろう。今まで、訳者の小山氏の言う通り、没落という言葉に疑問を持つ人はいなかったのだろうか?本書では「降臨」と訳している。思索の洞窟の高みから人間界へ降りるのだから、本書の提案通り降臨が望ましいと思う。
結局超人って何だったのだろう。彼からは、超人の定義は明確に示されていない。人間とは、克服されなければならない何かであるとツァラトゥストラは言った。超人とは、大地の志であるとも。運命を克服し、大地とともにあるのが超人なのだろうか。そう考えると、最終的にツァラトゥストラは超人になり、再び人間界に降りたとも読める。
同じ人生が繰り返し続く円環のことである。例え同じ人生だったとしても、「これが---生きるということだったのか?よし!ならばもう一度!」と思える人生にしたいものではないか。
上下巻に分かれ、四部構成となっている(※私が今回読んだのは、2018年に改訂される前の版です)。上巻に書いてあることはほとんど覚えていない。読んでいると眠くなってくる。下巻になると調子が出てきて面白くなってくる。
読んでいるうちに、ニーチェって頭がいいなと思うところが出てくる。一度書いたことを後でしっかりフォローしているし、なんとなく読んでいると自分が永遠回帰の輪の中に入り込んでしまったような錯覚を覚える。
文学、哲学の素養のない私が読むのに苦労したのも無理はない。本書の副題は「万人のための一書なれど、真に読み解く人なからむ」である。「血をもって読」まないと読めないよ、とニーチェは言っているのである。
以上











