NHK大河ドラマ『どうする家康』第45回「二人のプリンス」が2023年11月26日に放送されました。二人のプリンスは豊臣秀頼と徳川秀忠ですが、今回は今川氏真も久しぶりに登場しました。徳川家康と氏真をプリンスとする二重の意味があるでしょう。
徳川家は豊臣秀頼に二条城会見を求めます。本多正信は豊臣家を公家として扱い、上座にあがめ奉る方針とします。ところが、秀頼は固辞して下座に座りました。秀頼にとって家康は千姫の祖父です。家康を立てることは変な話ではありません。
秀忠は秀頼に「負ける自信がある」と言います。関ヶ原の合戦後に徳川家は400万石という圧倒的な石高を持っており、負けることは逆に大変です。後に秀忠は福島正則を改易したり松平忠直を配流したりするなど力でねじ伏せることしています。
とは言え、自分の弱さを認めることを一つの美点をする展開は巧みです。武田信玄は家康を「ひ弱で臆病。されど、己の弱さを知る賢い若造」と評しました。今川氏真も武田勝頼も偉大な父を目指そうとして失敗したようなものです。父よりも弱いと自覚する秀忠が二代目として成功することは一貫性があります。
豊臣秀頼は方広寺再建など秀吉の追善供養を名目として多数の寺社造営を進めました。豊臣家の金銀を枯渇させようとする家康の策略とする描き方が定番です。これに対して『どうする家康』では豊臣家の天下人アピールとし、特に秀忠は方広寺の大仏に脅威を覚えます。
現実に豊臣家の寺社造営には徳川の天下に対抗する効果がありました。西国大名にも資金を拠出させることで家康の天下普請に対抗して豊臣家にも権威があることをアピールしました。また、建設ラッシュによる好景気で豊臣家の人気が京大坂で高まりました。地盤を石垣で組むなど寺社造営は築城という軍事につながる面もあります。
徳川家は豊臣家を滅ぼすために方広寺鐘銘事件を仕掛けます。方広寺の鐘銘の「国家安康」「君臣豊楽」の文字が問題視されました。これは開戦の口実を作るための卑怯な言いがかりでした。これに対して『どうする家康』では淀殿からの宣戦布告のように位置付けています。
方広寺鐘銘事件は卑怯な言いがかり
近年は大阪方が意図して利用していたとする描き方が出ています。NHK大河ドラマ『真田丸』では鐘銘を撰した文英清韓が意図して使ったとしました。天野純希『有楽斎の戦』(講談社、2017年)では片桐且元が確認した後に淀殿が銘文を変更したとします(210頁)。どちらも悪戯心やエスプリであり、徳川家が非難するような呪詛ではありませんでした。『どうする家康』ではもっと強い意思がありました。
とはいえ、淀殿が意識的に使用したとしたとして、だから家康の言いがかりを理由あるものとするか。そこは見識が問われます。本多正信は林羅山と金地院崇伝という知恵者を呼びました。知恵者に理屈を作らせなければ豊臣家の非を責めることができないものでした。
方広寺鐘銘事件によって大仏開眼供養が中止させられるという不利益を豊臣家は受けました。宣戦布告して攻撃を受けて立つという立場とは異なります。難癖をつけられた豊臣家側の憤りを描くのかに注目します。
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