NHK大河ドラマ『どうする家康』第12回「氏真」が2023年3月26日に放送されました。『どうする家康』は徳川家康の物語であり、サブタイトルは家康に関する内容でした。今回のサブタイトルは今川氏真の名前というシンプルなものです。これまで『どうする家康』には一話完結型という批判がありましたが、氏真は第一話から描かれた人物であり、深いドラマになりました。
駿府が武田軍に蹂躙されます。平和的な進駐ではなく、町民が虐殺されます。戦争の現実を描きます。スイーツ大河ではありません。ロシア連邦に侵略されるウクライナに重なります。
ウクライナ侵攻の批判はロシア連邦に
駿府が簡単に陥落した理由は防御施設のある城ではないためです。浅井長政の小谷城とは対照的です。日本では「後詰のない籠城は愚策」と籠城が軽視されがちですが、籠城することもできなければ滅亡まっしぐらです。城は大切です。
武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀」がもてはやされる傾向がありました。しかし、人間を城壁と扱うことは見方によってはブラックです。人間が安全に暮らすために城壁があります。今村翔吾『塞王の楯』は石垣職人の穴太衆が人々を守る石垣作りで活躍します。
今川氏真は遠州掛川城に籠城し、長期間戦い抜きました。侵略者の武田も次の勝頼の時代に甲州崩れであっけなく滅びます。武田も本拠地は防衛に不十分であり、勝頼は本拠を捨てて家臣の城に入ろうとして家臣の裏切りで滅びました。後世の評価の低い氏真ですが、滅亡時の武田勝頼よりは善戦しました。
掛川城の籠城戦の長期化は氏真の奮戦に加えて徳川家康が城攻めを苦手としたという面もありました。関ヶ原の合戦でも家康は福島正則らが岐阜城を落とすまでは江戸を動かず、出陣後も西軍の本拠地の大垣城を攻めず、西軍を関ヶ原に誘い出しました。
氏真は壮絶な最期になりそうな展開でした。武将としての見栄を捨てて蹴鞠などの学芸を活かして長生きした存在という歴史イメージとは異なる描かれ方です。最初から貴族趣味の人ではなく、後から歴史イメージに合致する存在になったと描きます。
それは家康の働きかけによるものでした。戦国武将の物差しでは計れない存在というイメージからは家康の言葉で考えを変える氏真は見たくない気がします。主人公の出番を無理矢理作った感もあります。
氏真は妻の糸(早川殿)に冷たくあたっていました。氏真と早川殿は政略結婚ですが、仲は良かったとされており、この描写には違和感があります。『どうする家康』の氏真は瀬名に執心していたのでしょうか。『どうする家康』は家康と瀬名の仲が良いという通説の逆を描くため、氏真と早川殿の仲も逆にしたのでしょうか。これも後の歴史イメージに合致する展開がドラマの中で描かれました。
掛川城は徳川家康の関東移封後に山内一豊の居城になりました。一豊は千代との夫婦仲が有名です。2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」で描かれました。一豊は小山評定で掛川城を家康に提供すると発言し、豊臣系諸将が家康に味方する流れを作りました。家康にとって因縁のある城です。
家康は氏真と和議を結んだため、武田信玄を怒らせます。後に家康は信玄に攻められます。信玄の侵略の被害者というイメージがありますが、家康が信玄を怒らせる行動をしました。駿河侵攻時に信玄はあわよくば遠江も手に入れようと軍勢を出しました。これは『どうする家康』では掛川城攻めに苦戦する家康を奮起させるもので、領土的野心を前面に出していません。
家康の三大危機は三河一向一揆と三方ヶ原の戦い、伊賀越えです。三河一向一揆は家康が引き起こしたものと描きました。武田信玄の侵略も家康が引き起こしたものとなるのでしょうか。
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