NHK大河ドラマ『どうする家康』第46回「大坂の陣」が2023年12月3日に放送されました。方広寺鐘銘事件の対応から始まりました。本多正信は方広寺鐘銘事件を罰さなければ幕府の権威が落ちると言います。しかし、言論に権力で弾圧する方が筋違いであり、権威は失墜します。第32回「小牧長久手の激闘」で榊原康政は秀吉を誹謗中傷する檄文を拡散しました。これに対して秀吉は皆の前で笑い飛ばしました。
『どうする家康』第32回「小牧長久手の激闘」品性下劣な秀吉が反論するか
徳川家康は片桐且元に「秀頼の駿府と江戸への参勤」「淀殿の江戸詰め」「大坂城からの転封」の何れかを突きつけます。後世の視点では豊臣家が大名として生き残るためには当たり前なことに見えますが、当時は難しい話でした。
第一の秀頼の参勤については関ヶ原の戦いの戦後処理における長宗我部と島津の明暗があります。長宗我部も島津も西軍につき、合戦後に自領に戻り、自領を維持していました。しかし、誠実に出頭した長宗我部盛親は改易になりました。
「長宗我部盛親は、二大老・三奉行の指示に従っただけであり、関ヶ原合戦でも戦っていないので、土佐で徹底抗戦していればあるいは領地の一部は維持できたかもしれない。しかし、大阪に上ってしまえば、領地没収は不可避だった」(山本博文『「関ヶ原」の決算書』新潮社、2020年、185頁)
これに対して島津は粘りに粘り、家康自身が「領地を安堵し、義弘にも手を出さない」との起請文を出した後に上洛しました。家康には馬鹿正直に対応すると損をする相手であるという認識は共有されていました。
第二の淀殿の江戸詰めについては前田家加賀百万石を守った芳春院の英断と対比されます。家康が前田利長を攻撃しようとした際に利長の母の芳春院は自ら人質になって江戸に下りました。しかし、この時は利長が領土に帰っていましたが、芳春院は上方にいて豊臣家大老として上方を支配していた家康の人質と言っても良い状態でした。淀殿とは状況が違います。
もっとも『どうする家康』の豊臣秀吉ならば自分の母親を人質に出すことを躊躇しないでしょう。武田勝頼にも当てはまりますが、親より立派になろうとするプリンスが滅びる傾向があります。
第三の大坂転封は商都大坂を手放す痛手が大きいです。豊臣家は関ヶ原の合戦後に摂津・河内・和泉65万国の一大名に転落したと言われますが、商都大坂を城下町とすることによる経済力は巨大です。
豊臣家の経済力は秀吉が貯め込んだ金銀だけでなく、大坂からの商業的利益にあります。それ故に方広寺再建などの寺社造営で枯渇しませんでした。同じ65万石の領地への転封は大損害になります。大坂に見合う領地は考えられません。徳川家康の関東移封とは比べられません。
且元は大野治長らにだまし討ちに遭いそうになりました。これが徳川への宣戦布告になりました。小牧・長久手の合戦でも織田信雄が秀吉とのパイプ役の家臣を成敗し、それが宣戦布告になりました。
大坂の陣は徳川家康がなりふり構わず仕掛けた戦いです。徳川家康は大坂の陣を徳川の汚名と認識しています。これは誠実です。淀殿は堂々と演説し、家康の言いがかりを非難します。『鎌倉殿の13人』第47回「ある朝敵、ある演説」の北条政子を彷彿とさせます。政子の演説は御家人の心を動かしましたが、淀殿は大名の心を動かすことができませんでした。中世が終わり、女性の地位が下がる近世に入ることを連想させます。
『鎌倉殿の13人』第47回「ある朝敵、ある演説」だまさない演説
政子と淀殿の相違点として淀殿は北の方ではないことがあります。北の方は高台院です。淀殿は当主亡き後は後家が家長になるという中世の武家の伝統に当てはまりません。近時の研究では高台院が必ずしも家康の強固な支持者ではなかったとする説もありますが、高台院と敵対しなかったことは家康の勝因の一つです。
大坂冬の陣では大阪城の作戦会議が描かれることが定番です。真田信繁ら浪人衆は京に進撃して近江国の瀬田川で徳川勢を迎撃することを主張し、大野治長の籠城策と対立しました。秀頼を出陣させて危険な目に遭わせたくない淀殿が籠城を支持します。これは『どうする家康』では描かれませんでした。『どうする家康』の淀殿は好戦的であり、消極姿勢を描かないのでしょう。
現実問題として徳川方に走った片桐且元は自領の摂津茨木城を押さえています。豊臣家の摂津尼崎郡代の建部政長も徳川方につきました。これによって政長は戦後に摂津尼崎藩の大名になりました。政長は後に播磨林田藩に転封し、幕末まで続きます。大阪城のお膝元の摂津でも徳川寄りの動きがあり、京への進撃は非現実的でした。
徳川家康は大軍で大阪城を包囲しますが、真田丸の善戦もあり、攻めあぐねます。そこで大筒で攻撃します。大筒の破壊力に攻撃する方もトラウマになります。設楽原の戦い(長篠の合戦)と重なります。長篠の合戦では息子の信康のメンタルを壊しました。大坂の陣では息子の秀忠のメンタルを壊します。
『どうする家康』第45回「二人のプリンス」方広寺鐘銘は宣戦布告か
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