
NHK大河ドラマ『どうする家康』第18回「真・三方ヶ原合戦」が2023年5月14日に放送されました。前回の第17回「三方ヶ原合戦」は合戦を描くという意味ではタイトル詐欺でした。合戦終了後から始まった今回は時を巻き戻して合戦を描きます。
前回は徳川家康が生死不明で終わりました。学校教育で日本史を学習している視聴者に対して死ぬ死ぬ詐欺は演出効果があるのでしょうか。それともインバウンドの時代なので大河ドラマも外国人視聴者を意識して作るようになっているのでしょうか。
三方ヶ原の戦いで家康は本多忠真(ただざね)や夏目広次らの家臣を失いました。本多忠真は酔っぱらってばかりいましたが、それだけの人物ではありませんでした。これまで酔っぱらって戦場に立つシーンが何度か描かれました。その積み重ねがイメージの逆転となって感動をもたらします。
本多忠勝の本当の気持ちを指摘して背中を押す言動は、叔父と甥よりもツンデレヒロインの親友のようです。忠勝は父が幼少時に戦死し、父の弟の忠真に育てられました。大海人皇子と大友皇子、クローディアスとハムレット、永楽帝と建文帝と叔父には簒奪者イメージがあります。忠真は良い叔父です。

夏目広次は家康が何度も名前を呼び間違えていた家臣です。三河一向一揆では名前を呼び間違えたことが、広次が一揆側に立つ理由として納得感を出しました。これは家康の未熟さをコメディタッチで出す演出になります。しかし、三方ヶ原への出陣前も名前を呼び間違えました。いくら何でも名前を覚えなさ過ぎで、家康がどうしようもなく愚かに見えます。
『どうする家康』第8回「三河一揆でどうする!」守護使不入の否定
この広次には子ども時代の家康とのエピソードがありました。それが回想で描かれます。今回そのものが時間を巻き戻して三方ヶ原合戦を振り返る回想シーンですが、その中に回想が入ります。回想シーンのマトリョーシカです。子ども時代に思い出があるならば尚更、名前を覚えられないことは可哀想になります。
しかし、名前を覚えられないことには重い過去がありました。家康が織田家の人質となったことは織田信長と面識を得ることになったとプラス要素で語られます。しかし、それは後知恵に過ぎません。当時は誘拐であり、家康にとってトラウマになったでしょう。織田家の人質時代を思い出すだけで吐き気を覚えるほどだったでしょう。それに関連する記憶を思い出せなくても無理はありません。
家臣の滅私奉公は主人公に都合の良い展開と萎えることが多いです。近代的な個人主義者の発想ですが、明治から昭和の集団主義が異常であり、中世の人々はかなり打算的でした。しかし、今回の広次の忠義は納得感のある描かれ方です。
忠誠心を抱いて汚名返上の機会を狙っていたならば、三河一向一揆で一揆側に立ったことは何故かと突っ込みが入るかもしれません。この問いに合理的な説明を加えるならば、いくら主君であろうと信教の自由、内心の自由に踏み込むことは許せないとなるでしょう。
家康が問題視したことは信仰そのものよりも寺院の不輸不入権であり、寺院が国の中の国になっていることですが、思想の自由の侵害は純粋に思想の侵害だけでなく、言動の強制によってもなされます。現代の組織でも宴会や会議への参加強制や出社ハラスメントが問題になります。
広次は「大丈夫」という言葉を繰り返します。これで感動を誘うことは安っぽいです。明らかに大丈夫ではないのに大丈夫と言っています。大丈夫は気休めにしかなりません。現代日本では法務省の外国人収容施設の非人道的扱いが人権侵害と問題になっています。そこでは「大丈夫」が利用されています。大丈夫は悪しき日本語になっています。
「入管のドクターはいつも『大丈夫、大丈夫、問題ない』と言って、ちゃんと診療をしてくれませんでした」(「壁の涙」製作実行委員会『壁の涙―法務省「外国人収容所」の実態』現代企画室、2007年、111頁)。
織田信長の援軍は何もせずに撤退したと描かれました。壮絶に戦った家康の家臣団とは対照的です。史実では織田の援軍からも平手汎秀が討ち死にしています。『どうする家康』では織田信長への義理や愛着を持たないようにするのでしょう。
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