高杉良『不撓不屈』(新潮社、2002年)は国家権力の弾圧と断固闘った飯塚毅・税理士を主人公とした小説です。実際に起きた飯塚事件を描きます。飯塚は大蔵省キャリア官僚の誤りを指摘し、やり込めた経緯があり、そのために私怨を持たれてしまいます。違法性がない行為に対して、脱税指南をしたとして刑事告発されました。
官僚の横暴や傲慢がこれでもかと描かれます。自分達の面子しか考えない公務員のいやらしさが描かれます。公務員が作文した虚偽内容の文書に捺印を強要するなど弾圧の手口が描かれます。勾留中の被告人の取り調べでは弁護士の悪口を言い、弁護士と被告人の離間を図ります(221頁)。公務員を監視し、公務員倫理を外部の目で徹底させる必要性を認識させます。
飯塚事件を取り上げた渡辺美智雄代議士は国会質問で公務員の手口を批判しました。「交通事故だって警察官は道路に立ってないで、わざわざ電信柱の陰にみな隠れていて、あれは踏切で一時停止しなかった。あれは何だ、件数は何件あがった」(294頁)。これは現代の交通違反取り締まりも変わっていません。
刑事裁判では検察が調書など証拠物の開示を拒み、弁護側から批判され、裁判が長期化しました(340頁)。これも現代の刑事司法の問題につながります。アンフェアです。
冤罪被害者の村木厚子さんは以下のように指摘します。「証拠については、弁護側がすべて見られる仕組みがないと、客観証拠が葬り去られる恐れがある。事実、重要証拠だったフロッピーディスクがないかを何度も尋ねた私に、検事はないと言い続けました」(時代の証言者「取り調べ可視化訴える」読売新聞2018年2月10日)
本書は昭和の東京オリンピックの時代です。戦後昭和の官僚主導経済を成功モデルのように見る向きもいるが、官僚に潰された民間の人々も大勢存在したでしょう。昭和は良かったとはとても言えません。むしろ官僚主導経済を批判する新自由主義に個人の解放につながる要素があります。飯塚も外資をクライアントとしていました。コンピュータ化を進める点で先進的でした。
飯塚は論語の里仁編の「子曰わく、士、道に志(こころざ)して、悪衣悪食(あくいあくしょく)を恥ずる者は、未(いま)だ与(とも)に議(はか)るに足らず」を好みます(123頁)。この悪は悪いという意味ではなく、粗末なという意味です。粗衣粗食の意味です。価格と品質が比例すると考える浅ましい拝金主義の対極にあります。