2018.6 山形方面へ参拝の旅に出かけました。さ~て、出羽三山神社への参拝後、最上川を東へ・・お宿のある肘折温泉へ。
お宿付近からの銅山川
肘折温泉(ひじおり おんせん)は、山形県最上郡大蔵村にある温泉。
「肘折カルデラ」と呼ばれる直径2kmのカルデラ(凹地・窪地)の東端に位置する。カルデラの中心にある黄金温泉、最奥部の野湯である石抱温泉などとともに肘折温泉郷を形成している。
温泉街の一角にある「小松渕」は、トロイデ型(鐘状)火山の噴火口が渕になったものである。肘折カルデラは気象庁によって活火山に指定されており[1]、肘折温泉郷全体が「肘折火山」のマグマ溜りの上に位置している。
日本有数の豪雪地帯としても有名であり、冬季の積雪量は4 mを越えることもある。ニュース番組の気象情報では、時々、当地の積雪量が全国ニュースで紹介される。旅館17軒で「積雪最大記録を更新したら宿泊無料」というキャンペーン“ドカ雪割”を実施していたところ、2018年2月の豪雪で初めて適用され、予約や問い合わせが相次いだ[2]。
月山の麓、銅山川沿いに数多くの旅館が存在する。古くは湯治場であったことから、自炊部を持つ旅館が多い。木造建築の古い旅館や住宅が多く、鄙びた湯治場の雰囲気を形成している。・・・・・
開湯は平安時代の大同2年(807年)である。豊後国出身の源翁がこの地を訪れた際、老僧(地蔵権現)より肘を折った際に治療した温泉を教えられた、という伝説が残る。温泉名もこれに由来して肘折温泉となったとされるが、折口信夫は銅山川がここで大きく曲折していることによる地形からの命名と推測している。また、明治43年の古書には「聖居(ひじりおり)」という記述もある。・・・・
江戸時代には、肘折温泉から月山を始めとする出羽三山への参道口として多くの参詣客を集めた。肘折温泉には、天台宗寺院である「阿吽(あうん)院(片見氏)」が建てられた。現在も、月山の登山口として「肘折口」があり、登山道が整備されている。一方、葉山修験の拠点としても、真言宗寺院である「密蔵院(神野氏→横山氏)」があった。肘折温泉は出羽三山、葉山両山への参道口として多くの宿坊があった。
肘折温泉 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 最終更新 2019年7月24日 (水) 08:24
旧肘折郵便局舎
昭和12年に建てられた木造の『旧肘折郵便局舎』は、温泉街のちょうど真中にあり、肘折の〈懐かしさ〉を演出する街の小さなランドマーク^^
わずか20年足らずの間に3回も大火があったようです。
薬師神社(湯坐神社)
明徳元年(1390:室町時代)7月14日 創建で、明治10年8月 村の神となったとされています。
可愛い足湯がありました^^
冬は景色が一変するのでしょうね。豪雪地帯です。
明治期から湯治場の土産として、「こけし」が作られてきました。昭和に入るとこけし研究が盛んになり、「肘折こけし」も系統の一つとして分けられて「肘折系」とされました。肘折温泉内にはかつては多くの肘折系こけし工人がいましたが、現在当地の工人数は一名のようです。
日本最大級の鋼製ラーメン構造桟道橋として2013年11月30日に開通した「肘折希望(のぞみ)大橋」から観る肘折温泉。
肘折温泉の全貌が見えます。
巨大雪だるまがあったようですが小さなピラミッドみたいになってました^^
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2018.6 肘折温泉でノンビリ過ごした後、山寺にでもと思ったのですがお疲れモードだったので、とりあえず寒河江方面へ。国道458号の肘折~寒河江方面は通行止め(冬期間(例年11月初旬から6月中旬頃まで)通行止めのこの区間、通行可能時でも、標高差約700m・行程約40km中 1/3 程度未舗装・幅員の狭い悪路。)の為、来た道を戻ったのだけれど、帰ってから調べてみたら、458号を北上すれば良かったみたい。ちょっと遠回り(県道57号~県道331号~国道458号)しちゃったみたい。
県道57号より
県道331号より(もしかしたら県道57号だったかも)
寒河江で有名な「チェリーランド」にちょこっと寄りました。
三日間、天気はなんとかもってくれました。未だ時間があったので寒河江の慈恩寺へ。
慈恩寺(じおんじ)
・山形県寒河江市にあるお寺。
・現在は慈恩宗の本山。
・創建年 伝神亀元年(724年) 開基 伝行基
・行基に見いだされ、聖武天皇の勅によって創建。
・その後、鳥羽天皇の勅で再建後、白河法皇と源頼朝によって山号を授与。
・平安時代は、荘園主である藤原摂関家から庇護。
・鎌倉時代から室町時代にかけては。地頭・寒河江大江氏の庇護。
・寒河江大江氏が滅んだ後は、江戸幕府によって寺領を認可。
・江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊。
・修験による祈願寺として御朱印地を拝領していたため檀家を持たず、明治の上知令により一山は困窮し帰農する坊が続出。
・本尊は弥勒菩薩で脇侍として地蔵菩薩、釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する国内でも珍しい五尊形式。
・創建当初は、八幡大菩薩を鎮守として祭っていたが、時代の変化とともに法相宗、真言宗、天台宗を取り入れ、現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院として慈恩宗を称する。
・境内地は周囲の中世城館群や行場などとともに2014年10月に国の史跡に指定された。
参考:慈恩寺 (寒河江市) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山門(慈恩寺正門)
元文元年(1736年)築造。3間1戸の楼門造で、入母屋造、八脚門で銅板葺(もと茅葺)。
迫力あります。
本山慈恩寺本堂(国重要文化財)
元和4年(1618年)最上氏により築造。
明治41年(1908年)当時の古社寺保存法により特別保護建造物(現行法の「重要文化財」に相当)に指定。
本尊木造弥勒菩薩、釈迦如来坐像、地蔵菩薩坐像、不動明王立像、降三世明王立像、木造騎獅文殊菩薩、木造騎象普賢菩薩、十羅刹女像、木造二天王立像、木造如来坐像及び両脇侍立像、木造如来立像、木造菩薩坐像、木造力士立像などを安置。
三重塔
当初、慶長13年(1608年)築造されるも、文政6年(1823年)焼失。文政13年(1830年)再建。本尊木造大日如来坐像。
隣接する熊野神社
慈恩寺は山形盆地葉山の山裾の、寒河江川扇状地より一段高い段丘上に位置する。院坊屋敷地と境内地は概ね東西700m 南北200mの範囲に収まる。扇状地辺縁は標高約125mで仁王坂を上ると標高約146m、参道を160m進むと標高156m。
とても歴史のあるお寺でした。歴史を蓄積した静かな空気・空間でした。
山形駅より。
ステップ台^^
いや~楽しい旅でございました。出羽三山、残る「月山神社」。いつか参拝せねば!
開山期間 7月1日〜9月15日 月山神社本宮のある山頂まで、月山8合目より徒歩3時間弱。下山も徒歩3時間弱。一日がかりの登山ですね~^^;