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2019.12.29 ↑あびさんから紹介していただいた「天国の奇跡」今、観終わりました。
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いや~、感動しました。還暦過ぎてからどうも涙もろくなってしまっていて、涙腺崩壊(笑)してしまいました。
それは─ 小さな命の、大きな『奇跡』。全米を涙で包み込んだ、心揺さぶる
《真実の物語》が遂に映画化!
小さな田舎町で暮らす少女アナは、幼い頃から重い消化器疾患を患い入退院を繰り返していた。母クリスティは遠方の大病院へ診察を頼み、やっとのことでアナは入院するも、治療の方法がなく自宅に戻る。一方、二人が留守にしていた間、夫や姉妹との間にも亀裂が生じていた。そんな中、アナが庭の大木から落ちてしまう事故が起こる。幸い一命を取りとめたが、彼女の身にある驚くべき“奇跡”が待ち受けていた。
水族館に連れて行ってくれたおばさん、病院の受付のおばさん、主治医の先生、搭乗手続きカウンターの男性、小児がんの子どものお父さん・・・・
いろいろな人たちとの触れあいも奇跡の流れの中にあって、でも作られたモノではなく、実話というのもオドロキでした。多少アレンジしているのかなあ???
奇跡は「自然寛解」で医学的には解明できないという事。無理やり治った理由を科学的に考察するのであれば、穴に落ちたことによってアタマを打って中枢神経系の止まっていた動きが正常になった、というわけですが・・・。
核心はそこだけなく、臨死体験の部分なのでしょう。蝶が舞う、花々も圧倒的美しい綺麗な高原のような場所が再現されていました。
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アナちゃんは、奇跡の内容を「アルバート アインシュタイン」の名言に照らして
「私たちの生き方には二通りしかない。
奇跡など全く起こらないかのように生きるか、
すべてが奇跡であるかのように生きるかである。」
とし、「奇跡など全く起こらないかのように生きる」人でも、最終的には「その時が来れば解る」と語っていますね。
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以前読んだシルバーバーチの本に「祈り」についての見解があったので貼っておきます。↓
本当の祈りと御利益信心との違いを述べれば、祈りが本来いかにあるべきかがお分かりになると思います。
御利益信心は利己的な要求ですから、これを祈りとよぶわけにはいきません。
一方、魂のやむにやまれぬ叫び、霊的活動としての祈り、暗闇に光を求める必死の祈り、万物の背後に控える霊性との融合を求める祈り、そうした祈りもあります。
そうした祈りをあえて無視して、その状態のまま放っておくことが実はその祈りに対する最高の回答である場合もよくあります。
しかし魂の奥底からの欲求、より多くの知識、より深い悟り、より強い力を求める魂の願望は、自動的に満たされるものです。
つまり、その願望が霊的に一種のバイブレーションを引き起こし、当人の霊的成長に応じた分だけの援助が自動的に引き寄せられます。
危険の中にあっての祈りであれば保護のためのエネルギーが引き寄せられ、同時に救急のための霊団が派遣されます。それは血縁関係によってつながっている霊もおれば、愛の絆によって結ばれている類魂もおります。
シルバーバーチ
教会がストーリーの中軸にもなっていますので、見方によればキリスト教の格好のコマーシャルになっている、と云われる方もいるでしょうけれど、もっと、達観して、「神さま」=「大いなる存在」、「大霊」、「源泉」、「神聖なる知能」などと解釈して観れば、さほどバイアスもかからずにストンと心に落ちるのではないかと思いますね。
私も「毎日が奇跡」の感覚を忘れずに暮らしていきたいなあと思いました^^
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PS.そうだ、書こうと思って忘れていました。この映画に登場する主治医の先生、とても面白い人で子どもの患者を笑わせる事が得意なんです。
この「笑い」の効用は、ペインには結構有効で、一時的に痛みを忘れるだけでなく、笑いの効用で自己治癒力が上がったりしますね。笑うことはとても大事なのです^^