先日「土のがっこう」を読んで、東京で堆肥づくりがしたいと思ったことを書いた。その後ネットで調べたり会える人に話を聞いたりしてきたが、実現のためにもまずは改めて自分のやりたいことを言語化しておこうと思った。結論から言うと、現時点で私が求めているのは「土いじりができる庭付きの日当たりのよい家にできるだけ安く住みたい」ということなのだった。そりゃそうだろうと呆れてしまう。
・堆肥づくりは遊び
堆肥づくりは、目に見えない土中の微生物たちとの共同作業である。その仕組とやり方を知り実践したい。実践には堆肥で野菜等を育てることも含まれるから、無農薬の自然農法で畑もやりたいということである。だが基本的には趣味であり、遊びである。就農して生計を立てようという気持ちは今はないが、私の目標には貨幣依存度の低い生活があり、堆肥づくりや野菜づくりはそれと矛盾しないということである。
・理念を喧伝しない
人口が減っている東京の不要な宅地を廃し、アスファルトを剥がし土にするということの意義は自然を増やすという意味で、とてもよいと思っている。だが実現には一生かかるかもしれないし、個人で成し遂げるのはとても難しい。そっちの方がいいという信念はあるが、いわゆる長期的目標なんだと思う。今は実現の機会を待てるような環境に自分を置き、動きながらも情報にアンテナを張るのが大事なのだろう。
・都心に住みながらの模索
堆肥づくりにはある程度スペースが必要であり、畑をやるなら家の近くになければ世話も難しい。現在借りている家や近隣にはスペースがなく、理想的には引越は不可欠のようだが、妻が現在楽しくやっている職場からは離れたくないというのもあり、私もそれは続けて欲しいので都心部の限られた地域で探すことになる。ちなみに区民農園は数が限られているし家からは遠く、利用することになっても、あれこれきまりが厳しいので全然楽しくなさそうだった。
・現在住んでいる家への不満
今の家の不満は、日当たりが悪いことと、家賃が高いことである。お金を稼いで満足できる場所に越せばいいと言われるかもしれないが、私は必要最低限しか働きたくないし、貨幣経済から抜け出せる機会をずっと窺っている人間である。金も土地も持たず、安く好きにやらせてもらうには従来のやり方では通用しないので、新しい作戦が要るわけである。
・私自身のスキル
私自身はネットさえあればどこでも仕事はできるが、農作や建築のスキルはないし向いているのかも不明である。握力が並外れて弱いので建築現場の仕事は向いていなかったと思う。家庭菜園レベルで堆肥を作ることを実現する為に、必要なスキルを身に着けていけたらとは思っている。必要なことを学ぶのはとても楽しい。
東京の農家や、東京の支援団体などはネットで検索するだけで色々見つかるが、やはり就農を前提としたものばかりである。2019年には都市農地の貸借円滑化法という、都内の生産緑地を30年契約で他人に貸して農地にしたり維持をし易くするような法律もできていた。大変結構なことであるが、先に書いたように私は家庭菜園がよい。また関連施設もあり、就農先として挙げられるのは東京の西側で、あきる野市や青梅市は比較的近いとはいえ、都心からは離れてしまう。住めたらすごくよいとは思うが、まずは近場で検討したい。
武者小路実篤が始めた「新しき村」など、自然農法を営むコミュニティは関東近郊にもあった。また都心でも相互扶助や持続可能な生活様式を検討するような、フリースペースや集いの場は点々と存在しているようである。そういった場所のイベントで面白そうなものがあれば、話を聞きに行く気はある。※土づくりとは違うが、実は前に羽根木公園にあるプレーパークなど、子供と一緒に遊具を作ったり遊びを考えたりする場所の運営に興味を持ったこともあり、それはそれで関わったらすごく楽しそうだとは思う
だが今回の目的は堆肥を作ったり野菜を育ててみたりできる、日当たりのよい場所にできるだけ安く住むことなので「同じ理念を持つ仲間との集いの場」みたいなのは違う。そういう集団はとても苦手だし、むしろ距離を置きたいと思ってしまうところがある。だが私のような希望と特質(テキトー、いい加減)を持つ人同士で協力できたら結構嬉しいのかもしれない。
自分の好きなことをやれる環境が向こうから「さあどうぞ」とやってくることはあり得ない。たった一人でも協力してくれる「持ってる人」と出会えればよいのだが、地元の有力者に聞いたところ「そんな人はいないでしょう」ということであった。
個人で十分な広さの土地を借りて住むよりも複数で共有できる場を見つけるか、近場で作る方がまだ可能性は高いかもしれないと思う。「東京に自然を増やす」とは別の理念で他者が共感し得るものはないかと考えてみると、可能性を感じるのは先に書いたテキトー、いい加減、他には「わかりにくいものが良い」なのだった。
都心部に作られる商業施設やギャラリーが集まった行政主導のスペースなどは、作る前からコンセプトが明確である。明確だから外部の人にもわかりやすく、わかりやすいからつまらない。私が面白いと思うのは「ここはなんなんだろう」と考えても一向にわからないような変な場所である。
昔通っていた大学の向いには「ダメ人間連合」本拠地の「あかね」という店があり、そこのマスターに話を聞いてフィリピンに行ったこともある。変な人の集まるバーとか、集合住宅だったり、今もあるのだろうが、20年前の東京にはもっと有ったような気がする。
日本の町も伝統的にスクラップ&ビルドの集合体であり、最初から徹底したコンセプトデザインがないのが基本である。だからというのではないが、関わる人が勝手にやりたいことをやって去り、というのが続いた結果、自然発生的に意味不明な場所ができあがっていたというのが面白いとは思う。
そして私の住む町には素人の乱という集団があり、服屋、リサイクルショップ、ギャラリー、ゲストハウスなど皆が商売をしながら、やりたいこと模索しつつ土地に根付いている感じがある。まだ彼らとは「ゲリラで農作物を植えてしまえ」的な話しかしてないが、ここで自然農やりたいんですよという話を聞いてくれる変な老人などともつながれるのではないか?という、淡い期待は持ちつつ通い始めたところである。もし近くに堆肥づくりや畑をやりながら普段もそこにいられるような場所があれば、そこに通いながら実践するというのもありだろう。
あとは区の空家調査をしているところに聞いて、建物の改築も処分もできなくなっている「にっちもさっちもいかない」土地の持主と繋げてもらえないか、相談してみるくらいしか今のところアイディアはない。
仕事ならすぐやる方だが、趣味や自分の生活のこととなると、なかなか機会を狙ったりできずグズグズしてしまう。悪い癖だなと思うが、変なタイミングでおずおずとやり始めるのもダサくて自分らしいような気もする。