先日Spectator(47号)の特集「土のがっこう」を読んだ。
それからずっと土に魅力を感じ続けている。
土は無数の生物で満ちていて、モグラやミミズやダニだけでなく、細菌や藻類、原生動物、線虫といった微生物からウィルスまで、目に見えないものたちが天文学的な数で存在している。あまりに多く居過ぎるのもありその殆どは明らかになっていない。そもそも土壌に限らず、自然界に存在する微生物の99%以上は人工的な培地では培養できないので謎のままだという。抗生物質など微生物による生産物を有効利用する例もあるが、まずはこの「どうしようもないわからなさ」に惹かれる。
土について現在わかっていることも大変よい。微生物の分解作用で死骸は他の生物の栄養になり、土は厚みを増していく。死が別の生に組み込まれるという循環、時にはウィルスによる生の変容など、総体としては人知を超えた仕組ではあるが、それぞれが死ぬまで生きるのに必要なことをして「ただ生きているだけ」というのが清々しい。病を持つ人が土を触ることで癒されていく理由もここにあるのだろう。
わからなさも含めて知る程に惹かれ親しみを感じる土だが、人間の活動により日々大量に失われている。ちなみに過去の文明衰退は人口増加に伴う無理な食料増産等で土が死んだ(砂漠化した)ことに原因があるという。理屈は明快で、世界中で土の保全に取り組んでいるのも頷ける。土を必要としない食糧生産が76億人をまかなえるとは到底思えないからだ。私は文明や人類が滅んでも自然なら仕方ないと思うが、不要な人工物(自然に循環しない物)はできるだけ排除できたらいいとは思う。それは私が日常的に土に触りたいからである。
「不要な宅地と道路を土に還せないか」と最近よく思う。土に触りたい、堆肥を作ったり野菜を育てたりしたいと思っても、都市生活者にはやや敷居が高い。できる場所は限られていて、住居からも遠く自由ではない。地方に移り住んでやる方が早いし、実際考えてもいる。だが土と生きたい人の多くは既に移住しているし、その数は今後も増えるだろう。いずれは土地の取り合いになる。もし現在不要な建物を壊しアスファルトを剥がして土にしていけたら、都市部でも土と生きるチャンスが増えるのではないか。
もちろん土地も金も持たない者がそれをやるのは大変である。色々調べて、持つ者の協力を得ないといけない。そもそも土地を所有するということ自体がおこがましいなどと言えば、反感を持たれて終わるだろうが、使われてない土地が無駄になっているのは事実だし、経済が停滞し人口も減り続ける現在の日本では、合理的と判断してくれる人もいるような気はする。
まず思い浮かぶのは空家だが、自治体が毎年現在の空家の件数や実態の調査はやっていたりする。私の住むところを見てみると現在750件弱が確認されており、登記されていたのは500件ほど。用途はほぼ居宅の木造住宅で、面積は50~100㎡が半数くらいだった。詳しく見ていくと空家のように見えても半分くらいは何かに使っているようだ。売却予定だったりもするが280件くらいは全く使われていない。
管理されていない空家に手を入れて貸したり、自分で改修できる人に安く売ったりしている業者も沢山あるが、なんらかの理由で住めない土地は土にしてほしい。それが実際にどこにあるのかは直接問い合わせてみるしかないが、完全に不要で売却も諦めているような土地があれば、相談してみたい。農業用地にすることで駐車場にするより税金も安くなるようだし。
もちろん条件の揃った土地を見つけなければ何も始まらない。始まらない内にあれこれ考えても無駄のように思える。だが条件に合う土地は都市部にも必ず存在するはずだ。実際に見つけられるかは運だし、土触りたいという理由だけでは納得してもらえなそうだが、出会えさえすれば、仮に地主に建物の解体費用がなかったりしても、なんとかなりそうな気がする。妄想は広がる。
畑の土と宅地だった土は明らかに違うだろうから、開墾の仕方も学ばねばならない。あきる野市で販売できる位畑をやってる友達もいるので、教えてもらったり誰か紹介してもらえるかもしれない。素人でもできる成分分析や、堆肥の作り方も学びたい。そして微生物が生き生きしている土ができたら、無農薬の自然農法をやる。生きている土を触りたいからだ。都市部とはいえ、近所にはまだハクビシンやタヌキもいる。動物や虫の対策も考えなければならないし、ご近所とのやりとりもあるだろう。コンポストを設置して、生ごみ捨て放題にしてもよいかもしれない。面倒くさいが、土にした方がよいという気持ちがあればなんとかなる。他に理解者と会えるかもしれない。スペースがあれば、近所の不用品や普段使わないものを預かって「0円ショップ」もやれる。住宅街の中にそんな場所や農地がぽつぽつと増えていく。気付けばそこら中に畑があり、都市なのに食用自給率が高い変な地域になる。妄想終わり
「不要な人工物を減らし土に還す」というのは個人では難しいが、企業や複数の住民の手で実際に行われていたりもする。「逆開発」と称して千葉県の養老渓谷駅前ではアスファルトを剥がし、熊本県では荒瀬ダムが撤去された。個人レベルでも地道に探していけば少しくらいはできそうだと思っている。
「土のがっこう」に載っている自然農法で土に携わる人や研究者は皆魅力的であった。自然の謎に謙虚に向き合っていて、実践から得た知識を大切にしている。インタビューの言葉もどれも眩しいほど正直で、生きた土を触りたい、よい堆肥の匂いを嗅ぎたいと思わせてくれた。
最先端の知も娯楽も趣味も、まだ人が知らない自然の中にある。
そこに近づいていきたいと思う。