こすもすトラベルで、爽やかな新緑感あふれる三井寺の記事を読んだ!
三井寺、2021年7月に行ったのだが、駅から寺までの道、炎天下、そんなに遠くないはずなのに驚くほどしんどかった・・・
こすもすさんの記事にある、美味しそうな餅にはまったく気づかなかったし。
暑くてあんまり説明についての記憶がないが、自分の印象に残った三井寺の部分を紹介させてください。
こすもすさんの記事にもある、かわいい電車でやってきた。
車内も空いてて、なんか18きっぷの宣伝に使えそうな光景だった。
こすもすさんの記事で、優雅に船が浮かんでいるこの水路の近くで、ペットボトルの水をごくごく飲んでいたのを覚えている。とにかく暑かった。
人に全くすれ違わないで、三井寺に到着。
この大門は、秀吉が湖南市の常楽寺から伏見城に移したのを、家康がこちらに寄進した、という、最初からなんだか重要文化財だらけの気配。
大門を過ぎてすぐ右側に、釈迦堂。室町時代建立。重要文化財。シンプルで落ち着いた雰囲気。
進んでいくと階段。
金堂が見えている。
石段上がった後、開けていて、どこから見ようかと思う。
まず、金堂か。
国宝。
木!っていう感じ。内陣以外の床は板張りだが、内陣は土間になっている。
中でお香の良い香りが漂っていて、中の売店でお香も販売していた。
中は涼しかった。
どっしりとしていて、重厚で雰囲気がある。
金堂に接して、閼伽井屋がある。
このなかに井泉が湧き、天智・天武・持統天皇の 産湯に使われたことが、(御井(みい)の寺→三井寺)三井寺の名前の由来だそう。
参照→三井寺境内案内
こすもすさんの記事でも紹介されていた弁慶鐘。
奈良時代のもので、その時代のもので残っている中では、東大寺の鐘の次に大きいらしい。この鐘にまつわる伝説がいくつかある。弁慶が叡山にこの鐘を持って行こうとしたら、鐘が関西弁で帰りたいって何度も言い、弁慶が怒って谷底に投げ捨てたときの傷があるとか、よくないことが起こると、鐘が汗かいたり、鳴らなくなったり・・・参照→三井寺の伝説
長い間歴史を見てきて、戦乱にも巻き込まれてきた鐘だから、本当に何かあるかもね?
自分の印象に残ったものの一つはこれ↑
毛利輝元により、山口県から、移築!
室町時代に作った三重塔。これも秀吉が大和の比蘇寺から伏見城に移築したものを家康がここへ移したそう。
その時の権力者が、どこからか建物を持ってきた話多いけれど、その当時、あそこに立派なあれがあるらしいっていうのはどうやって知れ渡っていたのだろう。部下があちこちから情報収集したとか?
境内は広くてこの先にも建物はあったが、時間の関係でここまでで引き返した。
重要文化財だらけみたい。
あんまり暑くない時期にじっくり回るのが良さげです。