電子書籍『人文学(とちょっとだけ仮想通貨&NFT)で、これからの生き方を学ぶ』の「番外編のあとがき」です。
目次はこちらです。
よろしくお願い致します。
『天国と地獄と長いスプーン』という、世界の各地に伝わるお話をご存じでしょうか(ちなみに日本ではスプーンではなくお箸です)。
天国も地獄も同じところで、車座に座った人々の真ん中に美味しそうなごちそうがたくさんあります。
人々が座っているところからごちそうのある場所には近寄ることができない状態で、ごちそうの近くまで移動して手に取って食べることはできません。
が、そのごちそうを食べることのできるスプーンが一つだけあります。
しかしそのスプーンはとても大きい上にとても長いもので、ごちそうを上手に食べることがとても難しいのです。
(この話の伝わる場所によっては、身体の一部を縛られているとか各自に小さめで長いスプーンが巻き付けられて取れない状態だとか、いろいろなパターンがあるそうです)
地獄では「皆がごちそうを我先に食べようとして、スプーンの奪い合いをして血みどろになっている」状況であり、文字通り阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられています。
その一方、天国では「皆が順番に、対角線上にいる人に食べさせる」という方法で全員が美味しいごちそうを食べることができ、その場にいる人はとても幸せそうにしているとか。
この話を知った時は「ギバーとテイカーの違いってことかな?」と思ったわけですけれども。
最近は「この話に出てきた地獄は、今の日本のことではないか?」と思うようになりました。
ところで、インターネット(以下ネット)がインフラ化してもたらされた、つまり「ネットが当たり前」になってもたらされた価値観では「多様なのが当たり前」です。
この価値観に対応するために、わかりやすくておすすめなのは「何故なのか?(を考えるのは当たり前)」「とは限らない(のが当たり前)」という考えを持っておくことです。
これは本当に自信を持って、おすすめできることです。
主な使い方は「常識ではこうするのが当たり前だが、この人は何故やらないのか?」「この人が常識的な立ち位置にいる人とは限らない」などというもので、それ故に「この人には何か特別な事情があるかもしれない(具体的にはこういう事情である、という可能性がある)」という考え方が当たり前にできるようになります。
その考え方ができるようになると「一般的な常識を当てはめる短絡的な考えから起こる、評価能力の低下」を防ぐことができます。
この「評価能力の低下」で起こる最も恐ろしいことは「自分が不当に安く使われても気付かない」ことであり、後でそのことに気付いても「もはやどうにもならない状態になっている」という可能性があることです。
その状態を具体的に表したものが第一章の話でした。
何が最も恐ろしいのかと言いますと、日本をその状態に導いているのは他国や他国の会社や人民などではなく、自らの国民によるものが最も大きいということなのです。
全般的に評価する能力が低いということから、自らの労働力もまた低い評価しかできない状態になり、そのために収入が減って使えるお金も少なくなって……その結果、自国民の労働力を含めてありとあらゆるものが安い状態になってしまいました。
しかしそれだけではありません。
このことに気付くことのできないたくさんの人は、こともあろうに自国民同士でSNSや掲示板等で互いに傷つけあう行為に至り、その結果互いの能力を削ぎ落しています。
それらの行為によっても日本を衰退の方へと導いているのです(その象徴が冒頭の『天国と地獄と長いスプーン』のお話でした)。
そして最後には「評価する能力を持った強者によって日本は支配され、奴隷の国になる」でしょう。
……このままいけば。
このままいけば、の話です。
私は日本の国民の一人として、そのような状態にはさせたくないと思いました。
とはいえ、私には何もありません。
華々しい職歴や学歴どころか女性として出産や子育ての経験もありませんし、SNSでたくさんのフォロワーさんがいる等、特筆すべき能力は何も持っていません。
それでも、何もせずに黙っている、ということはできません。
「とにかく、書いて残しておくことから始めよう、何もしないでただただ嘆いたり文句を言ったりするだけよりは、遥かにましだろう」
そう思って書いておくことにしました。
さらにそう思って書いたこの文章、しかも不採用にしようと思っていたものを今、お読み頂いている皆さんには「感謝」の一言しかありません。
ありがとうございました。
※この後、通常の「あとがき」に続きます