真の富については以前、以下のような記事を書きましたが。
レイ・ダリオ氏にリベラルアーツ大学の学長さんの「購買力をつけて真の富を持とう」という話でした。
そこで「購買力の“お金をどのくらい持っているか”という本来の意味は、時代の進歩と共に薄れていく」という結論を出しています。
これは世の中が進歩してより良い商品がより安くなり、僅かな金額で幸せになれる選択肢がますます増えていくからなんですね。
また、リュクスとは英語のラグジュアリーをフランス語に訳したものですけれども、実は意味が少々異なっています。
英語のラグジュアリーよりも「その人独自のこだわり」という意味が強くなり、その分逆に高価であること(=たくさんの人が高く評価している)という意味が弱くなるとのことでした。
(……っていう話を以前『表)ラグジュアリーとプレミアムの決定的な違い。西野氏よりも私の方が理解していますよ多分』『裏)ラグジュアリーとプレミアムの決定的な違い。西野氏よりも私の方が理解していますよ多分』という記事でもしていますので、ご興味ある方はこちらもよろしく)
ラグジュアリーと言えば、LVMHの本拠地かつ芸術の都であるパリのあるフランスという国に学ばねばなりませんが、その最先端であるフランスでは万人の評価よりも個人のこだわりを重視しているのです。
と、それともう一つ、メタバースにWeb3.0といった時代が来ますよね。
これらを一言で、ものすごーくざっくり言えば「リアルな組織(国や会社など)や人種や性別など様々なものに縛られず、一人一人の個人がより幸せを追求し、それを人類の幸せの追求や発展にも貢献させる」という話になります。
ここでちょっと前に書いた『堀江氏の「国が溶けてなくなる」が、メタバースによって実現?!』という記事から引用します。
メタバースの世界とはリアルとは違い「人種や性別、出身国などを偽ってもわからない、わからないからそれらには意味がない」ということになります。
では、意味があるのは何なのか?
それは「その人のメタバース上での言動や行動」となるわけですが、この言動や行動は何によって決まるのかと言いますと、それがその人の持つ価値観や考え方となるわけです。
というわけで、ここまでの三つをまとめます。
1,真の富を築くためには個人の能力による購買力がより大きくなる
2,真のラグジュアリーとは個人のこだわりのより大きいリュクスである
3,メタバースにWeb3.0の時代では、個人の価値観や考え方が問われる
というわけで、何が言いたいのかと言いますと「個人」ですよ皆さん。
自らをしっかりと持って、他人に左右されないようにしましょうねー。
ここら辺は日本人の苦手なところですから、意図的に注意しないと難しいのではないかと思います。