えーと前回に、以下の記事を書きましたが。
上記の記事で私は、日本が貧しくなった理由に以下の三つを挙げていました。
1,投資している国民が少ない(投資する客側の立場の人が少ない)
2,時代の進歩とテクノロジーの進歩に対する危機感が足りなかった
3,国民が妬んで足を引っ張る(供給側の立場で物事を考えるから)
以上です。
この中でも最大の理由は、やはり2番の「時代の進歩とテクノロジーの進歩に対する危機感が足りなかった」でしょう。
ここで前回の図を再掲します。
(この図は静岡産業大学学術機関リポジトリの岩本勇先生の論文「チャネル・リーダー移動と社会環境要因の関係に関する研究 ― 業界別PB比率とハーフィンダール指数 ―」を元にして描いたものです)
今回はまず中抜きに注目します。
ここで言う中抜きは、お客さんがインターネットで製造業者さんから直接商品を買うことで、間の卸売業者さんと小売業者さんが抜かれることを意味します。
この場合は「テクノロジーの進歩によって、商品を買う手段が(お客さんにとって)より良く更新された(ので、間の業者さんが必要なくなった)」ということです。
ここで抜かれた業者さんはこの方法を選択しないお客さんを相手に、よりがんばってお仕事をしなければなりません。
が、この状態で困るのはすべての卸売業者さんと小売業者さんですので、当然ながら顧客を獲得する競争がより激しくなります。
つまりテクノロジーの進歩は、お客さんの立場では「より良い商品がより安くなり、しかもたくさんの選択肢が増えて、より自分の好みにあったものが選べる」という、非常に幸せな状況となりましたが。
業者さんやそこで働く人の立場は逆に、競争が激化したことで「より良いものを、より安く、より早く」が人材にも適応されて(=より能力の高い人が、より安い賃金で)大変なことになりました。
ここで日本の話をする前に、逆に「時代の進歩とテクノロジーの進歩」によって恩恵を受けた国の話もしておきます。
「リープフロッグ現象」と呼ばれるものが発展途上国で起こりました。
ALIS内でタグで検索すると、KTAG様と私の以下の記事が出てきました。
前者のKTAG様の記事ではお金(という決済手段・日本は現金バリバリだぜぇー)について、後者の私の記事では通信(の手段・日本はFAXバリバリだぜぇー)についての話をしています。
これらも先ほどのような言い方をすれば「(リープフロッグ現象の起きた新興国では)テクノロジーの進歩によって、これらの手段が(お客さんにとって)より良く更新された」とも言えます。
日本では、カッコ内の「現金が現役バリバリ」「FAXが現役バリバリ」という状況が、未だに残っておりますが。
ここでリープフロッグ現象の起きた新興国はさておき、他の先進国と比べても日本がより遅れた国になったのは「保守的な国民性」が理由であることも見えてきます。
さて、この「保守的な国民性」の本体は何なのでしょうか?
まず思いつくのは「新しいものを導入するのはめんどくさいしお金もかかる。今までのものが使えているから良いじゃないか」というものです。
・今までのものが使える=もったいない、だから使う
アフリカ人女性として史上初のノーベル平和賞を受賞した故ワンガリ・マータイ氏は、日本語の「もったいない」という言葉に感銘を受けて、この言葉を世界に広めてくださいました。
それはとてもありがたいことですけれども、この「もったいない」はすべてに当てはまる良いことだー、というわけではありませんよね。
この日本の誇る「もったいない」精神が、ここでは裏目に出てしまいました。
というわけで、もったいないから今までのものを使うというのも理由の一つですが、さらに大きくて深刻な理由があります。
それは「新しいものを導入するのが怖い」というものです。
何故、怖いと思うのでしょうか?
その職場で決定権を持っている偉い人なら「知らないものを導入してそれについていけない、情けない姿を見せたくない」とか、そういうものもあるでしょう。
と、ここまでだけだと、だから昭和の爺は……と思う人もいるかもですが。
しかしこの背後には、もっと大きな問題が潜んでいます。
それは「既得権益を失うのが怖い」というものです。
……が……。
だから権力を持っている昭和の爺が……と思ってしまいそうですし、実際それもあるでしょうけども……実は既得権益には、日本人の皆が持っているものがあるのです。
その既得権益とは何かと言えば、雇用です。
雇用を奪われたくない、自らの仕事を奪われまいとする保守的な力。
日本人は自らの仕事に誇りを持ち、真面目で勤勉に働くことを厭わず、仕事を愛してもいますから、仕事を奪われまいとする保守的な力が他国に比べて強いのです。
つまり、日本が誇る「真面目で勤勉に仕事をする国民性」が、ここでは裏目に出たということです。
また雇用がない、つまりニートまたはひきこもりの人であっても、親御さんがお勤め等をされて生活されている人がほとんどでしょう(=本人に雇用がなくとも世帯ではあるという状態)。
その一方で、お客さん側の立場に立つと、おいてけぼり感が強いような気がします。
前の記事でも書きましたが、今は客側が主導権を握っている時代なので、客の立場で良くないことは概ね時代に逆らうこととなるわけです。
(例えばタクシー業界、Uberがイーツだけなのは日本だけちゃうんかと。
他国なら恐らく消費者団体が黙っちゃいない、だからあり得ないのではと。
しかし日本のお客さんは、同じ労働者としての立場で考えて「タクシーの運転手さんも気の毒だから」と許しちゃっている感があります。
だからと言って日本の客が皆タクシー乗ってるかーと言えばどうなのか、乗っていないからこそ初乗り運賃引き下げとかやっているのでは?)
というわけで、ここで書きたかったことを図に表しますと以下。
この図はマズローのピラミッドを使って作成したものです。
……にしても、ちょっとややこし過ぎるので、もう一つ。
こちらはこの記事で使った画像を編集しました。
つまり「我々日本人は、いずれは要らなくなる人材である(時代の流れとテクノロジーの進歩によって)」ということが言いたかったのです。
このことは、現時点では遠い未来の話のように思われます。
が、万が一、何らかの非常に画期的なテクノロジーが開発されたら、その距離があっという間に縮められることになるわけです。
不幸を回避するための「手段」とは、誰もが思いつきやすいものです。
何故なら幸福よりも不幸の方が人類に共通しているため、不幸の方がより万人に気付かれやすいものですから。
故に参入する会社も多いですし、AIやロボットなどによる効率化の対象にもなりやすいものです。
日本の会社や日本人はこの「手段」の方を非常に得意としていましたが、テクノロジーの進歩によってこれまで必要だった「手段」がどんどんなくなっており、それ故にこれまで貰えていた対価をお客さんから貰えなくなることで、これまでのような成長ができなくなった、ということです。
(とはいえ、より幸せになる「目的」の方も、生活に必要がないため節約の対象として、日本の一般のお客さんに真っ先に切られるものでもあります。
では切られにくいものは何なのか、それが「目的」の上の方にある外国のお金持ち相手の芸術やラグジュアリーですが、これらをビジネスとするためには彼らのことを新たに学ぶ必要があり、今のままビジネスに発展させることは難しいでしょう。
というのも、それらは明治維新以降の富国強兵のスローガンから抜け落ち、我が国では今まで軽視されてきたものだからです。
しかし芸術やラグジュアリーに値するものそれ自体は、日本は十分に持っていますし、これから新たに生み出す能力もまた十分に持っているのです)
話を戻しまして、そんな理由で「新たな時代とは、日本にとって非常に不向きである」という危機感が非常に足りなかったと。
今からでも遅くない、このことを理解し気を引き締めて対応していくことで、以前のような豊かな国に戻ることができる、そのように私は考えています。