日本人の持つ「縦の動き(狭い範囲の上下の動き)」は素晴らしいものです。
この「縦の動き」には「就職して仕事を頑張って出世していく」という上向きの動きもあれば、学者さんや職人さんが「自分の志した学問や作品に向き合って精進し、専門的な範囲を掘り下げていく」という下向きの動きもあります。
一般的なのは前者でしょうね。
だから集団によるピラミッド型の組織で戦うという方法で、かつてGDP世界第二位まで(バブル時の一瞬だけ一位にも)なることができました。
しかしそれは昔の、大量生産大量消費時代までの話なんですよね。
テクノロジーが今ほど未発達だった昔は、手段も限られていますから「手段系の仕事が豊富」であり、かつ「その仕事に人手が必要だった」から、日本人のこうした国民性は非常に向いていたと言えます。
今、こんなに衰退しているのは何故かと言いますと、その大きな理由の一つには「Webがインフラ化した新たな時代に、日本人の持つ国民性が不向きである」ことが挙げられます。
この新たな時代はWebのみならずテクノロジーの進歩によって、個人でも無料または安価で選択できる手段が豊富になったことで「手段系の仕事が減り、目的系の仕事の新規参入が容易」になりました。
一例を挙げると、Webのない時代は書籍を出版し販売する仕事に従事する人がたくさん必要でしたが、今はWebサイトや電子書籍を出すという手段もありますし、そのコンテンツを出す側の仕事に新規参入することは容易です。
この例で言えば、以前は「書籍を出版し販売する仕事の中にある、狭い範囲の仕事をするだけでお金をもらうことができた(何故ならその手段しかなかったから)」ということであり、Webがインフラ化した新たな時代には「Webによって必要な情報を読者がリアルな書籍を介さなくても得る手段ができた(かつ、その方が安価または無料であるため、従来の手段を使う読者が減った)」ということです。
つまり今、これからの時代は「横の動き(広い範囲の左右の動き)」がより重要になるわけです。
で、この「横の動き」とは何ぞや?
一言で言えば「汎用的なスキルを持っていること」となりますが、この汎用的なスキルの中には「汎用的に役立つ基礎的なスキル」が含まれているんですね。
その「汎用的に役立つ基礎的なスキル」の中に「人としての基礎的なスキル」も含まれています。
で、その「人として基礎的なスキル」の中には「自らを知ること」が含まれているわけです。
その「自らを知ること」をもう少しだけ具体的言えば「自らを知り、自らの哲学を持つこと」であり、その「自らの哲学」とは「自らの生き方のテンプレートとして活用できるもの」です。
ちょっとだけ具体的な話をしますと、例えば転職の場合。
都会でIT系の専門的な会社で営業をしていた人が、実家に事情があって故郷に帰らなければならなくなったとします。
そこは都会とは違って会社も少なく、その会社だけでなく同業他社の拠点もなかったとしましょう。
そのような状況でも、この人に高いコミュニケーション能力があれば、比較的容易く再就職することができ、引き続き営業として活躍できそうですよね。
つまりこの「高いコミュニケーション能力」が「汎用的なスキル」の一例です。
「汎用的なスキル」を磨くため、アメリカが意図的にしていることが三つ。
一、リベラルアーツカレッジ数が世界一
二、STEM教育からSTE「A」M教育へ
三、GAFAMが哲学者を雇うようになった
(最後の三番はアメリカという国ではなくて会社の話ですけども。
あと最近は株価が下落、少々陰りが見えてきた感もありますけど。
それでもまだまだすごい力を持つ会社であるのは確かです)
一番のリベラルアーツカレッジとは、リベラル・アーツ教育に焦点をあてた教育を学部課程で行なう四年制大学で、世界でもアメリカ合衆国に集中することで有名です。
リベラルアーツについてご興味ある方は、こちらの記事もどうぞ。
二番のSTEM教育とは、2000年代にアメリカで始まった教育モデルで「Science、Technology、Engineering、Mathematics(科学・技術・工学・数学)」の教育分野を総称するものです。
後に「Arts(芸術とリベラルアーツ)」を加えて「STEAM教育」となりました。
STEAM教育についてご興味ある方は、こちらの記事もどうぞ。
そして三番のGAFAMが哲学者を雇うようになった話と合わせて図に表すと、以下のような感じ。
哲学や芸術などは、日本では役に立たないとされる学問ですが、これらは「役に立たせるのが難しい」のであって、役に立たないわけではありません。
さらに言えば、これらを役立たせることのできる頭の良い人が存在するのです。
そして自分が役立たせることができなくても、役立たせることのできる頭の良い人が存在することを知っていれば、その人に託して役立たせることも可能なのです。
(具体的な例を一つ挙げると、役立たせることのできる頭の良い人の集団=会社が上場していれば、その会社に投資すると資産が増えます)
そして逆に「役に立つ」と皆が認めるものは、手段または手段に近いと言い換えることもできますし、長い目で見るとテクノロジーの進化によってより淘汰されやすい疑いがあるものでもあります。
この「役に立つ」という概念に囚われがちであるところも含めて、日本人の国民性はこれからの時代には合っていないと言えるでしょう。
では、国民性が合っていない上に教育でもまだまだ対応できていない日本は、一体どうすれば良いのでしょうか?
私は「個人で対応できることはやっておく」ということをおすすめします。
実は最初にすべきことは、既にできていることです。
それは「知る」ことです。
ここまでお読み頂いた方はもう、できていますよね。
我々の国民性は不向きだということ。
米国はもう対応できているということ。
そしてこの先、どのような時代が到来しても役立つであろう、最も汎用的なスキルが「自らを知ること」です。
つまり「自らを知り、自らの哲学を持つこと」であり、その「自らの哲学」を「自らの生き方のテンプレートとして活用する」ことができるのです。
この「自らの生き方のテンプレート」を持っていれば、どのような時代のどのような問題が起こっても、それを使うことで乗り越えていくことができます。