韋駄天(skanda)が方法を駆け回って食料を取り集めてきたこと、これはいわゆるご馳走として知られていますが、今回はそんな「仏教」に関する話題について取り扱っていきたいと思います。
今、仏教と述べましたが、仏教とインド神話はどちらもインドをゆかりの地とします。これらは全く異なるように見えますが、関係性が存在しています。
仏教では、釈迦【仏陀】が開祖であり「覚りを開いて輪廻転生から抜け出す」ことを説いています。ほかにも、インドでは密教というものが信仰されており、仏教がインド神話の登場人物を取り入れるようになった代表だと言えます。
密教には仏教にいなかったような「大黒天」のような存在がいます。韋駄天もその一つであり、他にも以下のようなものがあります。
✔ 帝釈天【インドラ】
✔ 馬頭観音【ヴィシュヌ】
ヴィシュヌは宇宙を維持するためにある神とされていますが、このヴィシュヌは瞬き一回の時間が世界ができてから終わるまでの時間に等しいとされるなど、強大な存在として認識されていたのがうかがえます。
✔ 大自在天【シヴァ】
シヴァはインド神話でも非常に有名な神であり、日本においてもその名前は浸透しきっているといっても過言ではありません。仏教上、シヴァは大自在天という仏として示されます。
日本において、密教の存在は唐から帰国した最澄がもたらしたものだと考えられています。とはいえ、最澄は来世で生まれ変わるという約束を持つ浄土系の宗派を扱っていたものの、密教には積極的ではなく、それはどちらかといえば空海のほうが当てはまると考えられています。
そもそも密教はその発端を6世紀ごろにさかのぼり、仏教やヒンドゥー教の影響を受けつつ成立していったとみられています。中国では唐の時代であり、インドの善無畏や不空が伝えたと言われています。
密教には最高の位が存在し、阿闍梨と言いますが、これに空海は当たったと言われています。ほかにも8識の最深層にある阿頼耶識の存在も記されており、仏教の到達目標の一つでもあります。煩悩を浄める祈祷である護摩の炎や大日如来などの思想が含まれています。
密教が存在することは、対称的に顕教なるものも存在し、大乗顕密という二面性が存在することになりました。密教は中国に伝来後、真言宗になり空海が日本に持ち込みました。
とはいっても、密教は実用性の高いものというより、メンタリティに重きを置いた神秘主義的な側面を持っているのも事実です。
実際、釈迦がいた時代に考えられた仏教的な教えは、密教が反映するころにはまったく影も形もなくなっており、仏教というコンテキストで語るのもずれているという意見もあります。
仏教とバラモン教やヒンドゥー教は時代を経るにつれその境界線があいまいになり、最終的には様々な宗教に形を変えほかの地域に伝わっていきました。