高校野球岩手県大会での岩手県立大船渡高等学校の佐々木朗希選手の温存は、昭和の精神論根性論を脱却し、無理して頑張らなくて良い社会にする一歩にしたいと考えます。佐々木選手は前評判の高いエース投手ですが、2019年7月25日の決勝戦ではマウンドには上がらず、投球練習もしませんでした。大船渡高は決勝に敗れ、甲子園を逃しましたが、選手の健康を優先しました。
私はエース温存を昭和の精神論根性論からの脱却として評価します。正直なところ、これが批判されることが理解できません。選手もコーチも精神論根性論ではなく、合理主義で野球に取り組むようになりましたが、観戦者が昭和の感覚のままではないでしょうか。
「「無理を押してでも頑張れ」という、根性信仰とでもいうべき異常な価値観が蔓延しているのだ。ブラック企業にもよく見られるこの「信仰」のせいで、今なお大勢の若者が心身を壊し、時に命まで落としているというのに」(窪田順生「「スポ根」を感動ドラマに仕立てる甲子園はブラック労働の生みの親だ」ダイヤモンド・オンライン2019年8月1日)
この議論は今更感があります。エース温存は2016年夏の甲子園でも行われました。複数のチームがエース投手を先発させず、温存させる戦術を採りました。これらのチームは序盤で大量失点して敗北しました。このためにエース温存は失敗戦術と揶揄されがちですが、選手の肩の負担を軽減するためには大切なことです。
高校野球は特殊日本的精神論、根性論の権化のような世界という悪印象があります。2016年夏の高校野球でも女子マネージャーをグランドに立たせないという古い体質をさらけ出しました。それでもエース温存がなされることは、良い時代になったと感じます。これは昭和の高校野球では考えられないことでした。
エース温存と言えば、あだち充『H2』を想起します。これは1990年代に連載された高校野球漫画です。ここでは悪役の敵投手が腕に少しの違和感を抱いて降板するシーンがあります。チームにとっては勝つか負けるかの瀬戸際であり、エースに続投して欲しいところです。しかし、投手は大事をとって降板します。監督にとっては高校野球を勝ち進むことが目的ですが、投手にとっては高校野球が終わりではなく、選手生命は高校卒業後も続きます。
真っ当な思考ですが、悪役のエゴとして描いたところに20世紀という時代を感じます。これに比べれば21世紀の甲子園でエース温存戦術が採られたことは時代の変化です。21世紀の現実は20世紀の漫画を追い越したと言えます。エース温存で敗退したチームに清々しさを覚えます。
エース温存に苦情が出る日本社会の前近代的意識には絶望的になりますが、インターネットメディアでエース温存を擁護する言論が多いことは救いです。一方で具体的な対策の方向性には違和感があります。具体的な対策として球数制限が提示されています。私も球数制限に賛成します。
しかし、上限を定めて一律に規制するだけでは、そこから零れ落ちる選手も出てきます。球数の上限に到達するまでは根性で頑張れという逆の悪用がなされる危険もあります。根本的な元凶は、チーム勝利という目の前の問題を優先して無理して頑張らせる昭和の精神論根性論です。
この点では『H2』の腕の違和感に気付いた投手自身が降板したことに価値があります。悪役のエゴとして書いた点は限界ですが、球数制限という機械的な対策が具体案になる現実よりも投手自身が主体的に降板した点で漫画はまだまだ進んでいます。昭和の精神論根性論を否定し、無理して頑張らなくていいという思想を広めることが究極的な対策です。