はじめまして。ビビアン・スーと申します。
イラフォトコンテスト参加用記事です。
クリスっぺというゲームのコラボキャンペーン目当てでALISをはじめ、その報酬を獲得してからも未だに定期的に記事を書き続けているのは、当時IMAKARAさん主催のイベントをやっていて、訳もわからぬままとにかく参加してみたら楽しかったから。
以来、何かの企画や祭りにはとりあえあずのっかるスタイルで定期的に更新を続けており、日々自身のクリエイティビティを刺激しております。
IMAKARAさんに感謝。
さて、今回はとりあえず一番乗りだけはできたので、あとはじっくりと、自分が過去に作った作品をこの記事内にまとめていこうという次第。(9/14現在)
優勝したい。
10/1くらいの投稿を目処として、それまでにどのくらい書き溜めれるかわかりませんが、目標は5作品くらい。
※IMAKARAさん向け注:画像の注釈に作品タイトルを入れることにします。
専門学生時代に学科から依頼を受けて作ったもので、学校見学に来る高校生向けに配るリーフレット用の作品です。
いくつかに折り畳まれたリーフレットで、開くとポスターサイズになり、裏全面がこの作品になっているので読み終わったらお部屋に飾ってネというスンポーです。
高校生が部屋に飾りたいと思うようなグラフィックをお前の好きに作ってくれとの依頼でした。
おそらく、明るくてポップでカラフルで、きゃりーぱみゅぱみゅとか東京モード学園のCMみたいなものを求められているのだろうと、当時の時点で私はちゃんと理解しておりましたが、当時の私はそういうことを学科から頼まれる程度には明るい割にとてもひねくれており、
「美大に行くほどの真剣みはないが、なんとなく芸術専門課程を進路として検討している変わり者ぶりたいだけのガキは黒くて赤くてごちゃごちゃしていれば感激すんだろ」
「つまり、センセーガタが思い描いているであろうフレッシュで希望に満ちた雰囲気とは真逆でいいはず」
「好きに作っていいって言ってたしな」
と考え、期限ギリギリでなんの説明もせずに澄ました顔で胸を張ってこれを提出しました。
受け取った先生はなんとも言えない表情をしていたので、求められていたモノが何であったかのヨミは当たっていたようです。
結局、すぐに印刷に回さなければならないタイミングだったので、これが高校生たちの手に渡りました。
一応就活用のポートフォリオに入れおこうとデータを整理している際に画面を覗き込んできた後輩何人かが
「これクロサワさんだったんすねぇ〜おぼえてますよ」
と言ってきた時は「ほらな」と心でほくそ笑んだおぼえがあります。
制作に当たり
多くのアーティストと違い、グラフィックデザイナーはルールが多いほど仕事がやりやすいので、今回のように「好きにしろ」と言われたら自分で縛りを設けることが多いです。
ひねくれたモチベーションで作ったこの作品にも、ひとつひとつの素材の選定には一応自分なりにルールを設けていて「外は硬くて中はやわらかいもの」としています。
サルバドール・ダリが好んでテーマにしていたものです。
この作品はダリ考察の際に例によくあげられるものですが、この記事なんかがいい感じに簡単にまとまってるので気になる人はぜひ。(残念ながらALISの記事ではありませんが)
彼は「柔らかい」と「硬い」を作品のテーマやモチーフにするだけに飽き足らず、食べるのも好きだったようで、行きつけのレストランではカタツムリを好んで食べていたというのもの有名な話です。
一旦脱線================
やり始めてみて分かりましたがこの企画の難しいところは自分の作品を自分で記事にしなくてはならないというところ。
写真ならその時の状況などを旅行記風に書くこともできそうですが、イラストやアート作品の記事となるとそういう難しさがありますね。
面白い。
アーティストの方は直球で自分の作品を言語化するのは無粋と感じる方も多そうなので、そこをどう角度を変えるなりスカすなりして避けていくかがこのコンテストの肝かと思われますが。
私はグラフィックデザイナー。説明がつくものを作るのがお仕事。
この企画向いてるんじゃないか?
今回はアート作品をまとめていますが、あくまでグラフィックデザイナーが作ったアート作品なので、少なくとも私自身の中では既にどれも言語化済み(だったと思う)。
本題にもどります============
新卒くらいの頃、故郷での日常を想って作った作品です。
なのでこの作品については半ば思い出話をば。
中●町というところです。一部の人からは魔界町と呼ばれていました。
この町には中学3年〜高校卒業までの4年間住んでいました。
短く感じるかもしれませんが、子供の頃に転勤族だった私にとっては今住んでいる東京を除けば最も長く、青春における最も重要な時間を過ごした場所です。
当時通っていた中学校が、大人になって思い返すとかなり残酷な立地になっていて、学校からあっち側は地主ばかりが住むゴージャスエリア、こっち側は団地という校区。
学校ではゴージャスエリアの連中が幅をきかせていました。
団地の連中は決して暗いわけではなく、むしろ明るくてやかましいいくらいでしたが、主に団地の者同士でしかつるまず、コミュニティの人口規模自体は他に比べて小さくまとまってる感じ。
団地のやつらは暴力的で馬鹿なのに群れてて偉そうだという偏見的なイメージがあるかと思います。
少なくとも私にはあります。
しかし、そのイメージに当てはまる厄介者たちはそもそもめったに学校に来ないのです。
そいつらはたまに学校に来るとしっかりとみんなを嫌な気持ちにさせて帰るので、まじめに登校している団地人は肩身の狭い思いをするわけです。
先述の通り私は中3からの転入なのでその辺の事情がよくわからず、なんだかネチネチしてつまらない学校だなぁと思ってしばらく学校に行かずにフラフラしていた時期がありましたので、同じく近所でフラフラしてい厄介者たちと仲良くなりました。
つきあってみると連中は、日頃の行いの善悪は別にして、少なくとも陽気な連中ではあり、彼らとふれあった日々は私には楽しい思い出です。
今日はあの家から注射針が出てきて父親が連れて行かれた。
え?あそこは父子家庭じゃなかったか?
生みの母親が見つかって、街でスナックやってるらしいから娘はそこで働くことになったらしい。
働くったってまだバリバリの未成年だろ?
団地である以上、当然貧困層が多く、ゴージャスエリアではまず聞かないようなたぐいの話が日常茶飯事でしたが、そんな地域なりに楽しい思い出がたくさんあります。
公園でいつも競馬新聞を読んでいる後輩の父親から借金踏み倒し武勇伝とそのハウトゥを聞かされたり、怖い人が遠くに見えたら蜘蛛の子を散らすように消える子供たちから生きるのに必要な嗅覚を学んだり、そこが何階だろうと友達の家にはベランダから勝手に出入りしたり、娘の筆箱が盗まれたとわめきながら近所の小学校の花壇を破壊している明らかに泥酔したおっさんが取り押さえられているのを眺めて笑ったり...
あれ、楽しい思い出を書き連ねようと思ったんですが変な思い出しか出てこないな。
とにかく私にはいい思い出です。
作品タイトルを「MAKAIMA"CHI"」ではなく「MAKAIMA"TI"」にしたのは、魔界公園を有する魔界町3丁目の夏祭りのTシャツで実際にそのスペルが使われていたのでそれにならいました。
大人も子供もあまりかしこくありませんでした。
かしこくないエピソードをもうひとつ。
魔界公園のむく鳥があまりにもギャーギャーうるさいという不満が爆発した時、大人たちは業者を呼んで公園の木々をみんな丸裸にしてしまいました。
するとどうなったかというと、むく鳥たちは公園よりも更に住宅地に近い街路樹に移住してきました。
そんな魔界町から見て夕日の沈む方角にある遠くの山のてっぺんには、魔界町からでも見える大きな大きな大きな観音様が立っていて、いつもこちらを見下ろしていました。
作品の裏書にこんな短歌が書いてありました。
神保町 銀杏と仕事降り積もる
クライウチには身の丈足りず
神保町に勤めていたのは20代前半なのでその頃の作品だと思います。
短歌なんぞしたためたのは当時大ハマりしていた司馬遼太郎作品に出てきた誰かしらの影響だと思います。
クライウチがカタカナになっている理由をあえて説明すると、
【暗い内:日が昇る前(には仕事を終わらせたい)】
【位討ち:分不相応な地位につけることで、破滅に至らせる】
このダブルミーミング的なものを狙ったつもりだったと記憶しています。
当時はものすごくいいアイディアだと思ったからわざわざ書き残しているんでしょうが、今読み返すと我ながらいまひとつ感がすごいです。
これも元ネタはダリですね。
そこまでダリに傾倒していたつもりもないんですが...
この作品の意味する深いメッセージを汲み取ったわけではなく、
目の前の書類棚と、首を長くして待てど暮せどかかってこない校了の電話を待つ自分。ジリジリと焦げ付いていく心とカラダ。
そんなイメージが単純に絵的にマッチしたので題材にした。そんな感じだったと思います。
神保町という町には銀杏が多く、季節になると町全体がそこはかとなく臭いです。
2作品目と似たタッチの作品となっておりますが、これは当時の私なりの琳派です。
どういうことかと申しますと、
まずは本来の琳派
琳派とは Wikipediaによると
とのこと
スマホだと細かくて読めないと思うので要約すると、
ギラギラでブリンブリンな作品であり、それをサンプリングして受け継がれていく作品なわけです。
しかし、それは"本来ならば"という話で、現存する有名作品からは私は正直なところ本来のブリンブリンを感じません。
みなさんもむしろ侘び寂び的なものを感じませんか?
ブリンブリンだった作品が朽ち、
かつての煌びやかな名残をギリギリとどめている哀愁の姿こそが、今現在のこの作品をから感じられる印象ではないでしょうか?
もちろん、本来の琳派のあるべきブリンブリンな姿を正当に踏襲しよう、またはその方向で進化させていこうという作家は現代にもたくさんおりますので、私の感覚は美術史的に正しい解釈ではありません。
【脱線】琳派に限らず日本画を正当に進化させていると感じる、私が大好きな作家さんを紹介します。
京都の方なので、ずっとインスタ等で作品を見ていたのですが、今年近所で個展があったのでやっと生で作品を見ることが出来ました。作家さんご本人を見かけましたが、人見知りなので感激を伝えることができなかったのが悔やまれます。
とにかく私は琳派に哀愁を感じてしまったのでしかたがない。
2・3作品目は、美術史的に完全に間違っていると自覚している私なりの琳派を私なりにサンプリングしてみた作品ということです。
また、琳派の大きな特徴の一つにモチーフの単純化と平面的な表現方法というものも挙げられます。
それをやりすぎてみようと思って作ったこんな作品もあります。
これは時系列で言うとさっきの作品より古い、学生時代のものです。
琳派云々というより、昭和期を代表する日本のグラフィックデザイナーの一人、田中一光の真似事という側面が強いです。
この他、有名なところだとLoftや無印良品も田中一光だったりします。
こうして比べてみると、全体のバランスの美しさに雲泥の差を感じますが、恐れ多くも「田中一光に挑もう!」という若さゆえの無謀な姿勢を買っていただきたいです。
田中一光つながりで、
これは2020年の私の年賀状です。ネズミ年でした。以上です。
ちょうど10年くらい前に作ったもの。もう時系列めちゃくちゃだけどいいや。
結婚したての頃に作ったものです。
元ネタはこれ
日本画家小林古径唯一の油絵です。
古径の代表作はこちら
裸体画としては日本で初めて切手のデザインとなった作品です。
感じられる雰囲気はとてもやわらかい作品ですが、よく観察してみると、驚くことにアウトラインは一切ぼかされておらず、ハッキリとした実線が主体になっています。
ハッキリと造形を捉えつつもやわらかい印象を与える不思議で美しい作品です。
この他にも代表作の非常に多い作家なので、よければ少しググって彼の他の作品も見てみてください。
作品群に一貫性があるようなないような、そんな気がしませんか?
これは私の勝手な解釈なのですが、彼が探究心とこだわりを常に両方持ち合わせている作家だったことに起因すると考えています。
画風の遍歴でいうと、南画風の大和絵、細密描写などを試みてしだいに古典的作風へ向かっていったそうで、常に新しいものを取り入れようと言う探究心がそこからうかがえます。
それと同時に、彼は「造形としての絵画」ということにも非常なこだわりがあったそうで、どんな画風に移り変わって行っても、常に確実に被写体の造形をキッチリととらえ、アウトラインのボケた作品はほとんどありません。
さて、
元ネタにした「静物」は、
そんな彼が日本画と西洋画のどちらに進むべきか、心が揺れていた時期の作品だそうです。
ここらで予防注:
さっきから思いの外美術についてあれこれ書いてますが、全部私の個人的主観なので、あまりそういうものだとは思わないでください。クロサワはそれほど詳しくもないのに感覚でモノを言う恥ずかしいタイプなのでかなり適当なことを言ってます。
18で上京してからずっと大田区に住んでいたのですが、
22歳で結婚するにあたり、今までふたりともちゃらんぽらんな生き方をしすぎてきたので心機一転しようと縁もゆかりもない23区の端っこ、西荻窪に移住することにしました。
当時の大田区というところは田舎ヤンキー臭の強い町だったので、せっかく上京したのに何年経っても田舎ヤンキー臭がいつまでも抜けていない実感がありました。
若い夫婦から田舎ヤンキー臭がすると
「どうせすぐ離婚するんでしょ」とか
「何も考えてないから簡単に結婚なんてできるんだね」
とか思われてしまうだろうという被害妄想があったので、心機一転が必要だったのです。
結婚と同時に移住してすぐに、ソウソウコレコレという匂いをプンプン感じました。
おとなりの吉祥寺にもよく遊びに行きましたが、初めて行った時はヤンキー漫画で予習していた世界とは真逆の空気感だったことに面食らったのをおぼえています。
これぞ田舎者の思い描く東京!というおしゃれな空気に触れて、その空気に見合うようにお互いの言葉遣いや身なりを互いに指摘し合い、ちょっとずつまともな大人の階段を登っている実感がありました。
と、いうのは半ば建前で、
私は別に一生どこにいても田舎ヤンキーでもよかったのです。
妻とは専門学生時代に出会ったのですが、控え目にいっても学校イチの美人でした。
専攻が違ったので接点はそれほどなく、在学中は友達の友達程度の関係。
友達と言えるほど仲良くなったのは卒業してからまもなく。
多くの同級生が、地元に帰ってしまったり職場の近くに引っ越してしまったりする中、学校の近くに住み続けているご近所同士のコミュニティが自然と生まれたためです。
仲良くなってから色々と話を聞いてみると、どうやら彼女はかなり育ちがいいらしい。
箱入り娘だったようで、やや世間知らずなフシも。
正直、仲良くなるまではちゃらんぽらんな女だと思っていたのですが、それはオヤモトを離れた反動だったようです。
専門デビューって感じです。
して、
自分で言うのもなんですが、当時の私はご近所コミュニティの中ではそこそこ顔が良かったので、仲良くなるに連れてある程度の脈は感じていました。
このまま彼女が社会人として東京に馴染んで、よりイケメンで高収入なオトコを見つけてしまう前がチャンスだ。
おそらくまたとないチャンス。
そう思ってアプローチの末、結婚にこぎつけたわけです。
魔界町の人間では一番の出世頭でしょう。
さて、心機一転のハナシは、
育ちのいい容姿端麗なお嬢さんと結婚してしまったからには、そちら側に合わせるべきだということでそれに至ったわけです。
して、いざそうなってみると案の定と言えば案の定、
このままオトナになってしまっていいのか?という20代前半ならではの葛藤を抱えることになりました。
その当時に小林古径の作品に出会い、彼の葛藤を知り、思わずサンプリングした作品というわけです。
忘れていましたが本題は作品の説明です。
よければ上に戻ってもう一度私の作品をよく見てください。
そういう作品です。
なぜタコなのかについては深い理由はなく、
当時飼いたかったんですが妻に猛反対されて諦めたので、せめてなにか作品にしようと思って入れ込んだだけです。
タコ飼いたすぎて名前まで考えて妄想してたなぁ。
そういえば、
この作品のテーマについて妻に説明を求められたことがあったので、その時は嘘をつきました。
「西荻窪にやってきて心機一転、それでも変わらず君にメロメロ夢中で俺はゆでダコなのさ」みたいな内容だったと思います。
書き終えてみて================
どうしても自己紹介みたいになってしまってとても恥ずかしい。
あと、こうして自分の作品を眺めなおしてみると、思ったより自分という人間が10代から変わっていないことがわかっておもしろかったです。
はぁ。
けっこう詳しめの自分語りになってしまった。
最後に====================
優勝したいのでいいねください。
本日はこんなところで。ひとつよしなに