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前回の記事で、サグラダ・ファミリアの主任彫刻家である外尾悦郎氏について書いていました。
その際に日経ビジネス様の以下の記事にリンクさせて頂きました。
上記リンク先の記事より以下、引用致します。
筆者とカメラマンの足元に置いたスーツケースが、少しずつ後ろに引っ張られていたのだ。通路側ではなく、カフェの内側に置いていたが、筆者とカメラマンの背後に座っていた女性3人組の仕業だった。
見かねた外尾氏がインタビューを中断し、スペイン語で一喝。女性たちは自らの悪行を認める訳がなく、甲高い声で猛烈な反論を展開し、カフェは一時騒然となった。女性たちは店員を味方につけようと試みたが、カフェの店員らは全く聞き入れない。外尾氏の迫力に押されたのか、スリ集団はそそくさと去っていった。
伊フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の聖書台を作るコンペに参加した時のこと。出品直前にコンクールに必要な資材を発注先の業者がすべてすり替えた。日本人に勝たせたくない何者かが妨害したためだ。
外尾氏は深夜にその業者に押しかけ、発注した材料を取り返してきて徹夜で作品を仕上げた。コンペの結果は、外尾氏の優勝。妨害した関係者はさぞかし驚いたことだろう。正論だけでは通じない。世界を動かすためには、状況を見極めて行動するしたたかさが不可欠だと外尾氏は説く。
欧州で40年間、彫刻の第一線で活躍してきた経験から、「ピュア過ぎるのが日本人の最大の問題だ」と指摘する。「何千年もの間、争いを繰り返してきた欧州では、争いを収める術やその中で価値を生み出す知恵がある」とも。
上記、外尾氏は「ピュア過ぎるのが日本人の最大の問題だ」と指摘されています。
私はこの記事で、日本人は若さを高く評価し過ぎていると書いたことがあります(こすもす様のこの記事がきっかけで書いたものです。ありがとうございます)。
少々似ているなーと思いつつ、逆にこれは良いところでもあったのだなぁーと。
というのは、外尾氏の記事より「日本人は概ねモラルが高く、犯罪も少ない社会であったため、老獪な人物になる必要性は(欧州に比べて)かなり低かったのではないか?」とも言えるからです。
それ故に「ピュアな国民性を持ち、若さが貴重なものとされたまま、現在に至ったのではないか」と思ったのです。
ただし、正論だけでは通じない場所では通じませんので、やはり外尾氏のご指摘のように、もっと強かさを身に付けた方が良いことは確かです。
また、若さとかピュアであるとかだけでなく、こういう老獪さや強かさのようなものも高く評価する方が、良いのではないかとも思います。
月並みな言い方ですが、どういうものにせよ良い面と悪い面があるものです。
そのことを理解して、良い面は「より伸ばしてより効果的に発揮できる」ようにして、悪い面は「できるだけ作用しないように気を付ける」ようにしていけば、最も良い結果になるのではないかと思います。