個人的には正直な話、フェミニズムとかジェンダーとかいう言葉にあんまり良いイメージを持っていない人も多いのではないかと疑っています。
女性の中にも「差別をするな」ではなく「特権をよこせ」って言うてるのがいますから、しゃーないなーとも思っています。
で、その「ジェンダー」って、そもそも何やねんと。
上記リンク先の記事より以下、引用致します。
解決しなければならない世の中の問題のひとつに、ジェンダーにもとづく偏見や不平等があると言われています。その、ジェンダーって何でしょう?
ジェンダー(gender)とは、生物学的な性別(sex)に対して、社会的・文化的につくられる性別のことを指します。世の中の男性と女性の役割の違いによって生まれる性別のことです。たとえば、「料理は女がやるもの」って考えている人、いますよね?料理=女のシゴト。でも男で料理上手もいるのに?この性別がジェンダーです。
「ジェンダー不平等指数」を見ると、公平性がいちばん高いのはスウェーデン!オランダ、デンマーク、スイス、フィンランドなどヨーロッパの国が、ジェンダーの差別が少ないそうです。ちなみに日本は14位…
リンク先の記事では識字率の(男性と女性の)格差について書いています。
日本だと識字率の格差の問題はほぼないどころか、そもそも昔から欧米よりも全体的に非常に高いと言われてきましたよね。
(確かスペインだったと思いますが、かつて「日本のホームレスが新聞を読んでいること」がニュースになったことがありました。
「ホームレスでも文字が読めるほど、日本の識字率は高い」
「字が読めるのに何故、ホームレスになるのか?」
などという理由だったと思います)
なのに何で、日本は「ジェンダー不平等指数の公平性」が14位なのでしょうか?
つまり識字率のようなわかりやすい問題は解消できているが、わかりにくいところに問題が残っているからこうなっている、という話になります。
というわけで、今回は青山繁晴先生の著書について書かせて頂きます。
先に申し上げておきますが、政治家としては素晴らしい先生だと私は思っています。
私よりも夫の方が熱心なファンで、先生のご本も何冊か愛読致しております。
そして青山繫晴先生の奥様である青山千春博士もまた、ご活躍されておられるわけですけれども。
それだけに、青山氏の著書『まいにち哲学』で私は、非常に残念な思いをしました。
日めくりカレンダーの方で、19日の以下のものです。
ここで「女子」という主語を「ペット」に言い換えてみます(ついでに「日本男子」を「人」にも)。
実はそこそこ、意味が通るんですよねこれが。
「ペットは何をしてもいい(人はそれを支える)。
ペットよ、やりたいことをすべてやれ。
ありのままに、のびのびやれ(ぼくら人が力を尽くして護る)」
えーと、そのお気持ちだけはありがたいですし、もっと言えば、戦争とか災害とかの非常時であれば、これは概ね正しいと思います(護るとかその辺りが。ただし実際の話、今これからの時代に戦時中になった場合、男性でも自衛隊の皆さんに守ってもらうことになるでしょうけれども)。
しかし平時であれば、話は別です。
私は女性ですが、私も国を守る側の立場に立ちたいと思っています。
で、そもそも実際に立つことは、十分できるやないですかと。
例えば働いてお金を稼ぐことを含めた生産活動で、日本のGDPに貢献することができるわけですから。
私は青山先生に、以下のようなことを仰って頂きたかったのです。
「平時なら、今は女性でも国に貢献することができます。そのことで国を護ることもできます(税金を納めたら、それが防衛費にもなりますから)。だから共に国を護りましょう」
そのように仰ってほしかったのです。
で、ですね。
私が今まで女性として生きてきて思うのは。
私は女性である前に、人間なんですけども。
男性は良くも悪くも、女性を「女性」という「人間ではない、何か別のもの」だと思っている人が非常に多いと思うのです。
(「良くも悪くも」というのは、差別と言えば蔑むなどの悪いイメージが強いですが、崇めてはくれるけど人権は認めてくれない、というのも差別だと私は考えているのです)
とはいえ、実はこれ、男性だけの話ではなく。
そのように思っている女性もまた多いですね。
(そして特別扱いされないことに怒る女性も。
例えば、何かの記念日に男性からもらった贈り物がカジュアルブランドの宝飾品だからと言う理由で「私はそんな安い女じゃない!」とか言っちゃう女性もいます。
自ら人ではなく物扱いをするなんて、もっと自分を大事にすれば良いのにと私は思いますけども)
で、ここまでは人権問題の話でしたけども。
ここからは、いつもの私の主張となります。
◎だから日本は貧乏になっているんやで!
ここら辺の話を書くと、長くなりますので。
以前に書いたこの記事より、以下の文言を引用して終わりたいと思います。
つまり私の主張は「差別とは、それをされた人が気の毒であるというだけの時代は過ぎ去っており、今や放置すると国益を損なうものである(から、できるだけ早く何とかすべき)」というものであるわけです。
以上です。