パンガン島での生活は調子よく行っていたのだが、マーケットでバスキング(路上演奏)をしていて警察に捕まり、その時に2度と街で演奏してお金を稼がないと誓約させられたので、メインの収入源が途絶えてしまった。(過去記事参照)
島に来る前にバンコクで稼いだお金も家賃の支払いで飛んでいった。
たまに、エクスタティックダンスやヨガのワークショップなどで演奏したり、マーケットなどでワッペンを売ったりするんだけど、全然生活費には足りない。
とりあえずお金を稼ごうと思って、友人に紹介されたブログのまとめ記事を書く仕事をちょっとやってみたりして、ブログを書くコツを学んだけど、そこまで熱くなれるようなものでもなく、書くのが遅いので、通常よりもいい給料待遇だったみたいだがそこまで大したものにもならず、ちょっとだけやってから一旦休止にしてしまった。
他にも8年くらい前にオーガニックヘンプの服をデザインしてフェスティバルで売っていたのだが、あまりうまく経営することができず、借金だけ作って服の製作をやめていた。
だが、当時僕のデザインのファンで仲の良い友人のイスラエル人の女の子が今自然素材の服のオンラインショップを経営していて大成功しているので、僕の服を買いたいから作って欲しいと依頼が来たので、ネパールにある服飾工場で再び服を作り始めたのだが、予想以上に時間がかかりいまいちうまく進んでいかない。
何人かに貸してるお金が返ってくるはずが、相手の金銭状況が芳しくなくすぐには返して貰えそうにない。
一旦島を出てどこかの街に出稼ぎに行って戻ってくるなんてのも出来るけど、せっかくガールフレンドと南の島のバカンスを楽しんでいるのに、出稼ぎに行くのは野暮な話に感じる。
そんなこんなであらゆる状況が重なり合い、お金の流れが滞り始めた。
いくつかある収入源がまるでタイミングを合わせたかのように回らなくなる。
世間一般では仕事をしてお金を稼ぐのは社会人として当たり前の事だと思うが、多くの場合その仕事は情熱を感じるような仕事ではない。
そのことを特別に不満に思ったり、そういう生き方に疑問を持たないのがごく一般的な考え方だろう。
それを当たり前に思う事で辛く感じることもなくなるので、ある種の処世術とも言えるだろう。
幸か不幸か、僕は肉体的、精神的、霊的な自由を経験してしまったので、生活のために好きではない仕事をするということに拒絶反応が出てしまい、好きなこと以外できなくなってしまった。
これは本当に幸か不幸かという話で、うまく行っている時は最高に楽しいけど、うまくいかない時はしんどいこともある。
自由でいいねなんて言われることも多いが、それなりにリスクは背負っている。
普通は家賃と食費を払うために働いたりするのだろうが、僕の場合はお金がなければ家賃を払う代わりにキャンプをし、食費を抑えて暮らすという感じなので、無理やり自分を強制して働くということが出来ない。ある意味自由すぎる弊害とも言えるだろう。
今の僕の人生の流れはとにかく内側(意識の世界)から上がってくるパッション(情熱)を外側(物質世界)に表現すること。
それ以外は興味がないし、やろうとしても出来なくなっている。
その反面、パッションとかにこだわらないで、その場その場でやれることやってお金を稼いだほうが気軽でいいんだろうなという思いもある。
僕は以前、タオ指圧という指圧法を学んだことがあって、セミプロとしてやっていたこともあり、多少の経験と自信はあるので、指圧師として働くことも可能だ。
日本においてはきちんとした国家試験を取らないと指圧師として働けないが、タイでは日本での国家試験を習得していない僕のような者でも、指圧を勉強したことがあるというだけで指圧師として働ける。
僕の住んでいるこの島の地域にはヨガのアシュラムがいっぱいあって、マッサージを受けたい人たちが多く集まっているので需要はいくらでもある。
だが、指圧などの癒しの仕事にもパッションが湧かなくなって来ている。
というのも、長年にわたる僕自身の意識の変化の中で、指圧で一時的に癒やすことは、必ずしも本当の意味での癒やしにはつながらないと思っていることが原因だ。
10年ほど前にイスラエルで指圧の仕事をしていたことがあって、タクシー運転手の常連のお客さんがいた。彼は定期的に腰の調子が悪くなると僕の指圧を受けに来て、その時は調子が良くなって帰っていくが、しばらくするとまた戻ってくるという始末。
彼が本気で自分の体の調子を整えたいと思うなら、何らかの運動や柔軟体操などをするか、仕事を変えるしかない。
指圧では本当の意味で彼を癒すことが出来ず、彼自身が自分で生活スタイルを変えていくしかなく、そのためには本人の強い意志と行動だけが本当の癒しを彼にもたらすということに気づいた。
そして僕が彼に対して運動をしろとかヨガをしろとかしつこく言ったところで彼が本気でやる気を出さない限りそういう行動を続けないということにも気づいた。
じゃあ何が彼に行動を起こさせるのかと考えた結果、インスピレーションを受け取れば彼も変わるんじゃないかという考えに至った。
じゃあ、どうすればインスピレーションを与えることができるのか?
僕なりの答えは、自分がインスピレーションを受け取ってそれをしっかり表現して生きていれば、そのインスピレーションが伝わるべき人には自然と伝わっていくんじゃないかという考えに至った。
それ以降僕は指圧を仕事としてやることを減らしていき、お金を稼ぐことよりも如何に受け取ったインスピレーションのままに生きていくか、そしてそのインスピレーションを如何に表現していくかに人生の比重を置くようになった。
そのほうが僕の存在が世界の役に立つと思ったのだ。
ビットコインへの傾倒
そんな折に久しぶりに霊媒師でシャーマンって言うかなり怪しく思われがちな日本人の友人からメールで体と健康に関する質問が来て、ちょっとやり取りしていた。
その流れで彼に紹介されたブログ記事を書く仕事などもやってみたりした。
それからまたしばらくして、その彼からあるフェイスブックグループへの招待が来た。そのグループはビットリージョンと言う組織にビットコインで投資して増やすという仕組みを紹介するものだった。
で、そのビットリージョンではなぜお金が増えるかというと、簡単に言うと既存の銀行の借金をベースにしたシステムを信頼の先行投資に置き換えたポジティブな銀行システムで、投資した額に1%の日利がつくというもの。まあ、はっきり言ってそういう類のものは基本的に全く信じないんだけど、なんせ僕がかなり信頼している友人からの紹介なので興味を持って調べ始めた。
調べてみると面白くて、嘘みたいだけど本当に日利がつく仕組みができていて、しかも実際の銀行とは違って潰れることはないということが理解できた。
これは本当に投資してみる価値があるんじゃないかと思って、とりあえず登録だけしてみた。ちょっとお金もかかるんだけど、まあ、実際にやってみないとわからないと思ったので。
それで登録も済み、さあ、お金を投資してみようかというところで、もう一度最終確認のためにじっくり調べてみると、お金の引き下ろしの順番待ちが大量にあってなかなか進まないと言う話を見つけた。
潰れることはなくても、引き下ろしにものすごい時間がかかるようじゃあ、不安なのでビットリージョンに関わるのは一旦保留にすることにした。
(追記。完全な詐欺でした。暗号通貨投資に関わって2年目の今なら余裕で詐欺だと分かるけど、この記事を書いた時は全くの未知の世界でよく分かってなかった。こんな感じで騙されていくのかぁ、と良い経験でした。)
今回そうやってビットコインやビットリージョンを深く調べていくうちに、ビットコインが如何にものすごい可能性を持っているかをしみじみと理解できて、現行のドルや円よりかは、超長期的な目で見ると安定しているということが理解できたので、持っている貯金(10万円ほどだが)を全てビットコインに移すことにした。
僕は世界中を旅して、世界各地でちょっとしたビジネスをやっているので、僕のライフスタイルにはピッタリとあっているのだ。
しかも、おそらくはビットコインの価格も上昇し続けるので、今のうちにちょっとでも持っておくと、将来すごい額になるんじゃないかという期待もある。まあ、もちろん何が起こるかなんて全くわからないけど。(この記事は2017年4月に書きました。)
収入が途絶えて、お金に困りつつある時に全ての貯金を訳の分からない電子通貨を買うというのは相当に馬鹿げているとは思うのだけど、これぐらい馬鹿げている方が人生は面白くなるのでアリだと思っている。
2011年、最初期のビットコイン決済
今回初めてビットコインを買ったわけだが、実はビットコインのことは2011年のうちから注目していた。
当時の僕はカリフォルニアに住んでいて、オキュパイ・ウォール・ストリート・ムーブメントという政治活動的なことに関わっていたので、社会変革に興味があった。
このムーブメントは権力者による情報規制がすごくて一般のメディアでまともに報道されることもなく、ほとんどの情報はソーシャルメディア上や独立系ニュースサイトで共有されていた。
影響力のあるユーチューブビデオなどは通信速度が異常に遅くて見れなかったりもした。
権力者たちもそれだけ焦っていたということだろう。
日本でもほとんどまともに伝えられていなかったと思うが、2011年秋冬のアメリカ国内の先鋭的な人たちの間ではこの話題で持ちきりだった。
アノニマスというハッカー集団やガイフォークスという活動家のお面が有名なので見たこともある人も多いと思う。
陰謀論などに詳しい人たちにはよく知られているが、大規模なデモや歴史的な暴動は陰謀を謀っている側に裏から煽動されていることがよくある。
根本原因に対してデモを起すのではなく、少しずれたところに対してデモを起こし、市民の怒りの矛先を変えることを目的にデモを起こしたり、権力を奪うきっかけにしたり、新たな法律を作るきっかけにしたりする。(信じるかどうかはあなた次第です。)
だがこのオキュパイムーブメントは社会活動家ではないごく普通の一般市民が、警察や政府に対してではなく陰謀を謀っている根本に対して立ち上がった最初の大規模なデモだった。
その熱気はものすごく、ついに何かが起こるのかと思わせるようなものがあり、何か自分に出来ることで力になりたいと思わせるものがあった。
その当時の僕は、一体どうすれば国際銀行家グループによる世界支配を変えることができるのかという事ばかり考えていた。
その動機にしたがって色々と調べていくうちにお金の仕組みをより一層深く学んで行き、地域通貨や中央銀行に依らない通貨のことなどを知っていく流れでビットコインに出会うことになる。
当時はまだビットコインが生まれて2、3年ほどしか経っていなかったので日本語の情報はあまりなく、アプリなども数えるほどしかなかった。
ビットコインにものすごい可能性があるのはなんとなく分かったが、まさか数年後に何十倍もの価値になるとか、実際に世間に広まっていくなどとは想像も出来なかった。
それでも、何らかの形でビットコインの普及に協力することが国際銀行家たちの支配から逃れるすべになると思っていた。
当時の僕はEtsy.comというアーティスト向けのオンラインショッププラットフォームでワッペンを売っていたので、いい機会だと思い自分のお店の商品をビットコインでも買えるようにした。
おそらくEtsy内では僕が一番最初にビットコインの支払いを受け入れたと思うし、下手したら早期にビットコイン決済を受け容れたオンラインショップの上位100位くらいに入るのかも知れない。
でも、あまりにも時代を先取りしすぎていて、全くお客さんからの反応が無く、誰一人ビットコイン決済をしてくれなかった。
そんな訳で、僕はビットコインを商品の代金として受け取ることはなく、また、当時はお金を投資するなどという事には全く興味がなかったというか、むしろアンチ金融といった思想だったので投資としての購入もしなかった。
当時1ビットコインが15ドルだったので150ドルを費やして10ビットコインを買っていれば、今(2017年4月)ではその約80倍の12000ドルほどにはなっていた。まあ、今更だけど。。。
お金の流れの引き潮
そんなこんなで収入源が途絶えて行く中でビットコインに全貯金をつぎ込んだはいいが、日々の生活費に困るという非常に馬鹿げた状況に陥っていた。
とりあえずの解決策として、一緒に暮らしている月子さんにお金を借りてしのいでいた。
そういう、引き潮、ダウントレンド、下がり調子の時に前述のシャーマンの友人から大天使ウリエルの交霊会への参加を呼びかけられたことがきっかけで流れが変わって行くことになる。
(話がどんどん胡散臭くなっていくので、気をつけてください。)
つづく。。。
*僕はストリートミュージシャンなので投げ銭をもらえると喜ぶよ。
次回は交霊会に参加したことをきっかけにしてチャネリング能力が開花し、そこで得たメッセージを元に月子さんとの関係の新しい一歩を踏み出す話です。
大天使ウリエルのオンライン交霊会に参加した話1(現在011)
(この記事は2017年4月8日に自身のブログに投稿した物を加筆修正してアリスに再投稿したものです。)
僕のブログを初めて読まれた方はこちらもどうぞ。
過去記事はこちらから
18年に渡る世界放浪、ついに旅の全貌を公開する時が来た!(現在001)
強烈な人生の流れがやってきて再び旅に放り出される、しかも1時間以内に(現在002)
国王が亡くなって直後の悲しみに暮れるタイに来た(現在004)
瞑想コースに参加し、自分が覚醒していることを再確認する(現在005)
タイのヒッピーアイランド、コパンガンでの生活1(現在008)
タイのヒッピーアイランド、コパンガンでの生活2(現在009)